実は広島に滞在するのは初めて.やはり原爆ドームと資料館には行っておくべきだろうと思い,午前中はこばちと同行して学会会場ではなく広島市内中心部へ.路電に乗って10分程度のところだった.幼いときから数え切れないくらい写真では見てきた光景であるが,やはり現実に目にすると現在の「平和」との残酷なまでの対照が強く感じられた.
と告白してきた(ちょっと嘘).でも,すごーくプライベートな秘密も聞いちゃったのよーん.わーい.
ネタではなくマジだったらしい.詳細は後日.
今日のアリさん午後便でお引越し♪ ようやくごみもあらかた片付けて、あとは運んでもらうのを待つばかりだ。
午前中、ご夫君は新居に行ってNTTの工事に立会い、私はサティでご近所ご挨拶ものなどの買出し。既に疲れた。
新居にたどり着こうとするみんなが迷っている。運送屋も、NTTも、困って電話を寄越してくる。早く表札を出しておいてよかったが、この分だときっと引越屋も迷うな。
13:30旧居搬出開始→16:30旧居出発→17:00新居搬入開始→20:00終了
見た限り,アリさんの手際はなかなかよかったと思う.人員5名なり.
とりあえずすべての家具は想定したとおりの場所に配置できた.よかよか.
結局6時に起きて,昨夜作ったサンドイッチをボックスに詰めて,6時45分にバイクで出発.7時に競馬場に到着して,走っていくとちょうど当日発売指定席の整理券配布がはじまったばかりのグッドタイミングだった.けっこう若いいい番号が取れた(整理券順に売ってくれるのでそれ以上並ばなくてよい)ので,安心してフードコートでサンドイッチをぱくつきながら待ち.整理券を渡されたらフードコートに閉じこめる,というのはこちらも楽だし物は売れるしで一石二鳥だ.8時前にコールがかかって発売所前に番号順にならび,ほどなくして販売開始.決勝線手前,ターフビジョン真ん前の席がとれたのでよかよか.電話による販売座席はもう少し四角に近いところなので,朝頑張って並ぼうという気力があれば,こちらの方が席としてはいい感じかもしれない.
席に座ったら(というかフードコードでもやっていたのだが)レース開始までしばらく時間があるので,持ち込んだ査読のお仕事.こうしたタスクは大学や家で時間を取ってやりたくはないので「合間仕事」にはふさわしい(しかし競馬場で査読やる人もあんまりいないかもしれないが).今回のそれもまた精神的にはよろしくない内容で,書けば書くほど怒りが増幅してくるので,悲しい気持ちになった.ま,いい.片づいたし.
競馬の方はいつものように超地味地味に勝負.買う単位は必ず100円で,1Rあたり3点以内しか買わない.最終Rだけは何も考えずに誕生日馬券(3−4−10の馬連組み合わせと,今回は3連複)を買う.ちびちび買っても楽しいのが競馬の良さで,あんまり当たらなかったが最終的には1500円弱浮いてフィニッシュ.キンカメはなんとなくうすぼんやりした競馬でしたが,まぁ順当に強かったと思われます.
最終Rは人気薄の4番が追い込んで2着に来てくれたのはよかったのに,まぁまぁ人気していたはずの10番と,予想どおりの3番はグダグダで当然はずす.まあ,1900倍の再現が一生のうちにもう一度あったら,怖いよね.万馬券くらいなら「二度あることは三度ある」かもしれないが.
神戸新聞杯はマヤノトップガンが勝った時以来の観戦で,調べてみたら9年ぶりだった.そ,そんなに前だったのか.ついでに初めて競馬を見に行ったバースルートのヒシアマゾンのエリザベス女王杯は10年前であったとさ.嗚呼20世紀は遠くなりにけり.
今日から後期開始…だが私の場合は実質的には明日のT大非常勤から本格的に「始まる」ことになる.つまり今日は最後の休み(正確に言えば研究日か).特に理由はないが,去りゆく夏を惜しみながら,家で仕事をする自由を「楽しむ」ことにしてみた.時を同じくして,空気もようやく秋のものに様変わり.
社心学会は自主企画をやると2万円出たらしい.大会準備委員会が依頼したシンポなどならともかく「自主」企画にお金が出るなんて!そんなの,私がやったときはなかったぞ!来年は,是非自主企画をやろう!(笑
6/3のエントリで紹介した摩訶不思議な光景が昨日解消された.左側(つまり道路中央側)にいかにも不自然に立っていた電柱が抜かれたのである.これでようやく「道路の真ん中に電柱」という状況が解消されることになる.異常に数の多い電柱状況は4ヶ月弱も続いたのだ.ちなみにこれは震災復興土地区画整理事業の一環である.
しかしまだ「きれいな道路」になったわけではない.一部未舗装,舗装部分も繰り返された工事でつぎはぎだらけなので,砂ぼこりが立って車が汚れるのだ.是非一気に整備を進めてもらいたいところだが,西宮市ウェブサイトによると事業計画は来年度までなので,またほったらかしになるのかもしれない.もう計画自体は97〜99%完了しているのに,残りの1〜3%が我が家の目の前だとは.
今朝玄関を出てみたら,庭がきれいになっていた.植栽も散髪されていた.夏の間に雑草を生やしまくって,蚊も出なくなったからそろそろ抜かないとと思っていたのに,家主差し回しの出入りの庭師に先を越されてしまったようだ.恥ずかし.
2限社会心理学研究法,4限人間行動研究II
どちらも何人くらい受講生があるか読めない.できれば少なくあってほしいのだが…
→2限は60名程度.多分リーズナブルな人数に収まりそう.
→4限はなんと25名!やった!!演習以外でこんなに少人数は初めて!!
ネットワーカーたちの人気を一手に引き受ける口曲がり麻生氏は外務大臣に留年.
新政権の布陣を見ると,沖縄北方担当相の高市早苗/教育・再生担当補佐官山谷えり子という「女性の敵は女性」な2人の名前が見える.両名とも自らは堂々と通称利用をしていながら夫婦別姓法案には反対という超保守政治家だ.しかも山谷のポストったら… 私は,とりあえず不快である.
しかし塩崎恭久という人はケチのつけようのない学歴とかっこよさの人だ.しかもご妻君は地元女子大の教授(教育社会学)ときた.
いきなりもっとも負担の大きな水曜日からスタート.レクチャー→2年実習→3年実習の3本立て.学生の方も暖機運転から入りたいかもしれないが,特に後期は日程がぎりぎりなのでそうもいかない.今日は会議日ではないので疲労度は中くらいなり.
印象に残った墓をいくつか携帯で撮影.
名誉域にある.右隣は東郷平八郎,左隣は古賀峯一.東郷の墓の方がもうちょっと壮麗で雰囲気があったが,銘が見やすかったこちらを撮影.古賀の墓は地味.戦争が終わる前に死ぬとこういう葬られ方をしたのだ.多磨霊園には3人のA級戦犯(荒木貞夫・平沼騏一郎・賀屋興宣)の墓があったが,いずれも地味であった.
同じ敷地内に一平・かの子の墓もある.一平の墓は太郎の手によるもので,見た感じ女性なのではないかと思わせるような太陽の塔風の彫刻.かの子は観音菩薩をかたどったもの.
徳大寺家の墓はだいぶ荒れるに任せた状態だった.調べてみると実則以降の当主は別のところに葬られているらしい.これは敷地内の端っこにあった墓だが,妾の墓と明記するのはすごいなと思って撮影.
やや旧聞に属する話だが,私は昨日体験したので.
いつもやっているように,Gmailからゼミ生の携帯アドレスに一斉メイルを送信しようとして,これまでに見たことがないエラーで引っかかった.
メール アドレス「hogehoge..@docomo.ne.jp」を認識できません。 修正してからやり直してください。
とのメッセージだ.何が悪いのかよくわからぬままにエラーを吐くアドレスをBcc:リストから外していくと,どうやらピリオドが2つ以上続けて含まれていたり,1つでも@の直前にあるアドレスが,正しいアドレスとして認識してもらえていないことが分かった.エラーで困ったときの常套手段として「そのメッセージ」をそのまま入れて検索すると,今月中旬あたりにGmailのアルゴリズムが変更され,アドレスの正誤判断を行うようになったものらしい.つまりこれらのアドレスは「間違い」だという判断がなされたわけだ.
こうしたアドレスの付け方を許しているのはdocomoとauだけのようで,ネット上では「不便だからGmailがアルゴリズムを変更しろ」という意見と「RFC(ざっくり言えばアドレスの付け方の世界標準とされるもの)に違反したアドレスを許容しているdocomoとauこそ悪いんだからそっちがルールを変更すべき」という意見で,不毛な議論が繰り返されていた.実用上の問題とルール上の問題が競合していて,どっちもどっちだ.とりあえずアカウント部分を""で括れば回避できるのでそうしたが,面倒な話ではある.
恒例の3年次ゼミ行事でバスを仕立てて少年院へ.3回目にして初めて,今年は寮の中も見ることができて,興味深かった.毎回園長さんが変わり,お話しいただく内容も人それぞれなのだが,今年の方はとても丁寧かつ詳細にご説明くださった.が,長かった(笑 ほとんど微動だにせず80分お話を傾聴するのはさすがに私もつろうございました.
気持ちよくもどったがやはり「いか」には不可逆だったするめは,細切りにしてかき揚げとしておいしくいただきました.もどした時にできた「だし」もお雑煮(紅白餅もお下がりのひとつ)にしておいしくいただきました.
裁判員制度とは異なり,こちらの仕事は2年間の守秘義務を負うが,こうして胴元が公開したら「しました」ということは言明してもよい.
全般に,非常に貴重な経験であった.わかったことはごく当たり前のことで,
研究ができる人の応募書類は,できがよい
としか言いようがない.もちろんそれはかなりの部分が過去の業績に裏打ちされることになるが,やはりできる人の応募書類は仔細にわたってスマートである.どうスマートかというと,どれだけこの研究テーマが追究されるべき意味合いを持っていて,またどれだけ本人に計画を実現させることができる準備性があるかが,的確に書いてあるということである.「この人がこういう研究するならお金を出しても無駄にならなさそう」と思わせる申請書ってのは実際あるもんだ,ということが実感としてよくわかった(もちろんそのまた逆も真なりだということもあからさまにわかった).自分もそう思わせるような申請書を書かねばならない,と強く思った.そのためには,日々の地道かつ着実な裏打ち作業こそが重要なのだ,とも.
よく「通る申請書の書き方」とやらで,いろんな「工夫」が教授されているが,私の個人的な実感としては,まあそういうのはそうであって当たり前というか,とりあえず「まあよい」的な評価に値するかどうかを決めるくらいの要因でしかないように思う.やっぱりそこに実績に裏打ちされた情熱がないと,5はつけられません.5は(追記:もちろんカラスさんがおっしゃるとおり,5を獲得しなければならないという仕組みではありません).別にそれはこれに限らず,あらゆる「カネヨコセ」的な申請書に限らず,世の中のあらゆる事柄において,おおむね普遍的にそうでしょう.小手先の工夫ではなく,本質だということで.
ちなみに,ほんの気持ち程度ではあるが,仕事をした本数に応じて謝金もいただける.ほとんどがボランティアな雑誌論文や国際会議の審査よりも,いろんな意味でグレードが高い仕事をする機会を,どこで誰がそうしてくださったのか今もってさっぱりわからないのだが,ともかく,させていただいたことに心から感謝したいし,今後の学界に恩返しできるようにしたい.
先だってのARGカフェで知己を得た方(正確に言えばhus時代にOrkutでインタラクションがあった方だったらしい…私は失念していた)からお誘いいただいたことをきっかけに,関西ウィキメディアユーザ会の勉強会に参加させてもらった.
私の目的はウィキペディアンな方々へのインタビュー.にのじさんとの知恵袋研究の概略をお話しした後に,私以外の参加者6名のうち4名のウィキペディアンあるいはその経験者の方々に,ウィキペディアの執筆を始めたきっかけ,はまったきっかけ,その後のさまざまなご苦労や活動状況などを詳しく聞かせていただいた.たくさん質問項目を用意して行ったのだが,それぞれの語りがあまりに面白くまた談論風発な状況になったので,まだまだ伺いたいことを残してとりあえず一区切り.来月の次回にも参加させていただくことにした.
午前中は京阪奈高山地区にあるNECの研究所でPDの紹介+研究発表+打ち合わせ.大学に戻って院ゼミ.5限は秋学期から同僚が担当する「神経科学」の講義を聴講させていただくことにした.これまでにもその切れっ端は勉強してきたのだが,体系的に理解する必要性を感じたためだ.頑張るぞ.
3連休の後なのにデスクにゆっくり座って「何か」をする暇がないまま夕刻に至り,なんだかぼーっとしたまま帰路につく.午前中の外出の関係上車で来ていたので,大学前のコインパーキングに停めていた車を出そうとお金を支払う時に,私の車は「5」に停めていたのに「4」のボタンを押してしまい,そのままお金を入れてしまった.あっ,とそこで気がついたので出て行く際にロック板を乗り越えられずに酷い目に遭った,というわけではないのだが,そんなつもりは毛頭ないのに利他主義を発揮することになってしまった.普段は「私の車は,5番,よーし」的に指差呼称を励行しているのだが,ぼーっとしていてそこがおざなりになってしまったらしい.なんというヒューマンエラー.かくして1200円支払えばいいところを1700円も出費する羽目に.
しかし実は以前,同じコインパーキングで,自分の車のある場所の番号を押して料金を支払おうとしたら「0円」と表示されて「えっ,えっ,いいの?」と思いつつどうしようもないのでそのまま出てきた経験がある.つまり「間違えられた」方になったことがあるわけだ.そのことを考えれば,今回の失敗はいわゆる「情けは人のためならず」あるいはpay foward的な意味を持っているといえなくもないかもしれないかもしれないわけでもない.
超多忙日の授業が始まった.スタートは1限も5限〜も会議が入っていない一番楽なスケジュールだったが,月に1回は「1会議2-4授業5会議」の地獄日があり,残りの2回も1か5〜に会議が入る.去年までも同じスケジュールだったが,今年は1限の会議で議長を務めているので,心理的にも物理的にも負担が増えているのだ.
2限は3年ゼミ.夏休みの報告をさせる.夏前に「今年の夏の過ごし方」について心づもりを発表させていたので,それと対照させながら結果的にどうだったかを聞く形式.「本をたくさん読む」ことを目標に掲げた学生が少なからずいたのだが,それらはいずれも「結局あまり読めませんでした」とのこと.よくあることだ.しかし一方で面白かったのは,そうした目標を聞いて「そうか,みんな頑張って本を読もうとしているんだ」と気付かされた学生の方が「本を読むことにはまって」たくさん読破したという報告があったこと.何にせよそれぞれまずは楽しくやっていたようなので,何よりである.また,宿題として出した2つ,英語論文1本を読む課題については概略を報告させ,質問紙作成コンテストについてはベスト3を選ぶ投票手続きに入った.秋学期はそれぞれが卒論で扱う研究テーマを絞り込み,具体的な計画を立てて行くことになる.まだどうなるか何も分からない.びっくり箱をぶちまける手前といったところだ.
3限は心理科学基礎統計.事前アンケートをしたりガイダンスをしたり心理統計とは何かを語ったり数学的知識確認テストをしたり卒論質問紙調査をしたり,実に盛りだくさんなコンテンツとなった.受講者は200名ほどだろうか.毎度のことなのでもう慣れたが,本当はもっと小さいサイズで,彼らの集中力が拡散しにくい環境で授業がやりたい.切実に.そしてやはりΣを初めて見たという学生は少なからずいた.いや,だからといって彼ら自身のことをどうこうと言うつもりはない.ああ,やっぱりいるんだなあ,ということだけ.そしてコメントに「数学が苦手なんですが,大丈夫でしょうか」と書く学生も相変わらずたくさんいる.大丈夫とか大丈夫じゃないとかじゃないのだ.
4限は心理科学統計IV.受講者が減ってくれることを期待したのに,月1からの流入もあって結局差し引き漸減くらい.そんなに簡単なことをやるわけじゃないので,単位を取りたくて来る学生はなるべく遠慮してもらいたいのだが,私が心優しいせいか,なかなかその意図が伝わらない.受講者が80名を超えると2教室でやらざるを得ないのが嫌なのだ.好んで私のいない方の部屋に行く学生がいるのは学習効果的によろしくないように思うので,その点はコントロールすることにしたい.
疲れたなあと思って個研に戻ると,びっくり×うれしい知らせがあった.いやはや,まったく想定してませんでしたw
ここ1年半にわたり,私+PD2名+M2名で続けてきた大学院ゼミに,このたびの大学院入試に合格した1名が加入することになった.今年初めから秘書ちゃんとして週1で勤務してくれている,お隣の大学のB4なNさんだ.
そもそも大学院志望で,今は社会心理学のゼミに所属しているが,大学院では生理心理系への進学を希望してあちこちの研究室を積極的に訪問して話を聞き歩いていた.そんな経緯をたまに聞いて,思うところをアドバイスしつつ,近所の大学院に進学してくれたらこれからも秘書ちゃんとして働いてもらえるかもしれないのになあ,と考えていたのだが,結局夏前に「やはり社会心理学で」ということになり,しかも私の研究室を受験することを決めたという報告を受けた.彼女の中でどういう心境の変化があったにせよ,私やラボメンバーをある程度間近に見た上での決断なのだからうれしかった.うちに限らず大学院入試というのは各大学のクセが強くてしっかり対策しないとろくなお点が取れないものと相場が決まっているのだが,私の心配をよそに申し分なくよい成績を挙げてくれて,無事合格.安堵.
入学はもちろん来年4月だが,これからの半年を準備期間として,差し支えない範囲でリサミや輪読ゼミに参加してもらうことになった.以前に比べて,大学院生活は(というよりも,研究者の生活が全体的に)どんどん慌ただしくなっている.わけのわからぬままそれに呑み込まれることのないよう,うまくやってもらいたいし,私も,うまくやりたい.
一つだけ残念なのは,また優秀な秘書ちゃんを失ってしまうこと(笑
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