理系じゃないって知ってました?(笑
日曜日は,映画を見てお茶した後に「おは朝」で紹介してた阪神百貨店のまるごと犬フェスティバルにいーくーのーだー.
果たして早朝テニス→人体の不思議展→es→犬フェスという強行軍は可能だろうか.人体の不思議展は後回しにした方が賢明か.
犬ネタプラス。このニュースはさすがに眉に唾をつけたくなる。
昨日入手したCDにこの曲が入っている.DuranDuranという人(え?グループ?)が今どうしているかは知らないが,所謂「ビジュアル系」の走りのような人だったような記憶がある(と,ここでデヴィット・ボウイと混同していたことが判明).この曲には妙な思い出がある.というのも,中学2年生だか3年生だかの文化祭で,この曲をクラスで歌ったからだ.
母校は田舎のカトリック系女子校なのだが,文化祭はまったくはじけていない,非常に非常に非常にくだらない催しだった.店を出したり,お化け屋敷をしたり,そういう「たのしいこと」は全部禁止,だけど何か「文化活動」めいたことをしなさいというだけなのだから,やる気が出ないのも仕方がない.
当時の私はまったく純朴だった.純朴というか,えらいえらい「先生」の言うことというのは絶対で,それに従うことが学生として「あるべき姿」だと思いこんでいた.先生が「クラスで文化祭に参加した方がよい」と思っていることを察すれば,クラスの人々がどんなに嫌そうで,やる気がなさそうでも,つまらなくても,何かしなければならないと思っていた,のである.私はクラス委員長だったのだ.
合唱にするということになったはいいが,まったくやる気のないクラスメートたちをひきずる唯一の手段が「曲は好きなものを選ぶ」ことだった.それで選ばれたのがこの曲(および今で言えばJ-POPに属するであろう数曲).でも,笑うよね.こんな曲,普通合唱で歌わないよ.
どんな風に練習したか,本番ではどんな歌になったのか,詳しいことについてはもう何も覚えていない.というよりも,中学,そして高校時代に何をしていたかということ自体,ほとんど記憶に残っていない.ただ一つ言えることは,今でも中学高校当時の同級生たちが出てくる夢をよく見るということ,そしてその夢は必ず「嫌な夢」であるということだ.
ここ3日間,対数線形モデルにインターセプトされた以外はほぼかかりきりだった「日本語学」の依頼原稿が完成.巻頭にWellmanの言葉を持って来たのはいいとして,最後をどうまとめるかがこの2日の懸案事項だったのだが
「ものつくり」を生かす「ひとつくり」
という非常に世間迎合的な,しかも具体的なサジェスチョンは何もないというひどいまとめ方を思いついて,しかもそれがちょっと気に入った(笑 ので,そのまま押し切ってみた.
田河水泡は,数ページものの漫画を書くときに,まず最初のコマに のらくろ が勇ましく歩いている絵を,そして最後のコマに目から星を出してひっくり返っている絵を描いて,「あとは中身をどうつなぐかだけ」と言っていたという話を読んだことがある(出典:多分「サザエさんうちあけばなし(姉妹社)」)が,この手の原稿書きも似たようなところがあると思う.
ダイタクリーヴァがいるらしく,見学も可能とのこと.教えていただいた電話番号に連絡を取ること.なお,ヤマトが門別種馬場に入った代わりに?ヘリオスは青森に行ったらしい...
英国特派員のnmさんによれば「こちらも暑さは一段落」とのことだが,日本の暑さは既に段落どころか全体的に終わっているのか.今日は一日中雨とのこと.
腹を出して寝ていたせいか,起きた早々腹痛が.あいたたたた.ご飯食べたら治った.
頼もしい虎の新4番・片岡、Vロードの主役がまた増えた
…いちいちリンクを書くのがめんどうなのでこちらに飛ぶ.同じコメントでも各紙微妙にニュアンスの違う辺りがマスゴミの真骨頂.
ご夫君の事前調査の結果,大型量販店では「一番安い」というヨドバシカメラにエアコンを見に行った.既に前回ミドリ電化西宮北口店で検討した時点で,霧ヶ峰対エオリアKireiという「ご父君vsご夫君」の一騎打ちに持ち込まれていたのだが,値段比較で優位だった後者に決定.ポイント還元も前者が5%有利だった.天下の(笑 松下製品が「価格」で選ばれるとは時代も変わったものだ.2Fに6畳用2台,1Fに10畳〜用1台の合計3台を,8/24に取付設置工事することになった.
帰路は雨の中コンビニに2軒立ち寄って片岡表紙のスポーツ新聞を4紙購入.スポーツ放置だけが「渡土下座」と呑気な見出しだ.こんなに活躍したのに,セブイレのネットプリントは今岡のタイムリー…
何を今更(んなこと今までしてなかったとは誰一人として信じない)というようなとってつけたような「事件」を自分たちで公表して一斉辞任,というのはどういう意味なんだろうな.単にプロ野球に嫌気がさしただけとも思えないし,今わざわざこういう「慣習」を表沙汰にする意味は.
実況を聞いていると「谷選手」「谷選手」と男女区別なく言うので難しい.女選手は柔道をやっているときは当然のことながらすごくいいんだよなあ.さすがって感じなんだよなあ.
野村選手は引退してサンフランシスコに行っている間,著名な文化心理学者David Matsumotoさんのところにいたそうです.ちなみにDavidも柔道の公式審判員の資格を持っていて,お嬢さんは世界柔道にも出場するような柔道の猛者であります.
早朝アイスランド発→LHR→ドーバーを渡ってパリへ.
We arrived at Paris. Yes, there are no Internet connection withd Japanese character again. We have WorldLink system in our room but it does not work successfully. So, I am using WebTV now.
Today, we left Iceland early morning and reached LHR around noon. Surprisingly, it took 6 hours from London Waterloo station to Paris Nord station by Eurostar. Normally, it takes only 3 hours. Can you imagine why we had to take too long journey? The train in front of us had been suddenly out of order on the way and passengers of that train join with us!! Though our scheduled arrival time was 7pm, but actually 10pm ;p But fortunately we are not so tired and enjoy this trouble as a kind of spice of this vacation.
やはりパリのホテルで書いたもの.
4時ちょっと前に起床.今日は早朝の便でロンドンに向かう.5時に朝食をすませ(欧州便の多くが7時台に出発するので,ホテルの方もちゃんと対応している),5時20分頃に空港に向けて出発.街のあちらこちらに,どうやら徹夜で夜遊びしていたらしき若者が群れをなしていた.アイスランドにもちゃんとこういう人種がいるのだな.
まずはレンタカーを返却しなければならない.しかしどこに返すのかがよく分からず,Arrivalの方にあるCar Rental Returnのところに行っても私たちが借りたRASのオフィスはなさそうだし(看板にもBudgetなどの業者「だけ」だと明記してあった)),レイキャビークで車をくれた兄ちゃんは「Departureのところに停めてキーはグローブボックスに入れといてくれよな」としか言っていなかった(ような気がする)し,DepartureのところにはShort/Long Termの駐車場しかないし,ということで迷った挙げ句,Short Term Parkingに放置しておくことにした(笑 きっと誰かが見つけて持っていくのだろう.それが泥棒なのか,RASの人なのかは,神のみぞ知るだが…
まだ5時半過ぎだというのに既にチェックインカウンターは大きな荷物を抱えた人で長蛇の列だ.まだしもやや早めに来ておいて助かった.20分ほど並んでチェックインして,セキュリティを通って,次はTax Refundの列へ.欧州のTax Refundといえば,やれここでスタンプをもらえだの,必ず手荷物にしておけだの,セキュリティの前後いつ手続きしたらいいかよく分からずやりそこなうだの,ここに行けと言われたはずのオフィスに行ったら閉まっていただの,と,ろくな思い出がないのだが,ここは情けないほど簡単だった.何の身分照会もせずほいほいともらった書類に住所氏名パスポート番号など必要事項を書いたものを持って,銀行の窓口に並んで手続きを受ければよいだけ.クレジットカードに還付してもらいたければ,その旨書いてポストに投げ込んでもよい.これでなんとか5000Ikrほど(Consumer Taxは20%くらいらしい)戻ってくることになった.よかよか.
最後に売店でIkrを使い切るべくお土産(パフィン靴下と馬マグネット;結局小銭は30Ikr残ったがほぼ使い切れた)を買い,ついでにTシャツを2枚買ったらBordingの時間になり,慌ててパスポートコントロールを抜けて,ロンドン・ヒースロー便に搭乗した.機内は行きと同じく3-3シートでほぼ満席だ.朝食はハム+オムレツ+ポテトで,おいしくいただけた.行きの便ではもう眠くて眠くて何がなんだか分からない状態だったのだが,今回はさすがに意識も覚醒,快適だ.昨日の分の日記を書きながら,3時間弱のフライトはあっという間だった.
多少LHR上空で旋回したり,着陸してから到着ゲートの準備に手間取ったりしてやや時間を食ったが,ほぼオンタイムにLHRに到着.今日はここから空路ではなく,鉄道でパリまで移動する.そのためにはEurostarの出るWaterloo駅まで移動しなければならない.タクシーで直接移動,地下鉄乗り継ぎ,ヒースローエクスプレス+地下鉄などのalternativesの中から,今回はヒースローエクスプレス+地下鉄という手段にしてみた.ヒースローエクスプレスでパディントン駅まで15分,そこから地下鉄に乗り換えてWaterloo駅まで10分強だろうか.特に問題なく,スムーズに移動できた.ただ,地下鉄は混み合うラインなので結構めんどう.テロも怖いし.一番省力化を図るなら,やはりタクシーだろう.
Waterloo駅でEurostarに乗るのだが,これはほとんど飛行機のようなものである.まずE-ticketを取っていたので端末で発券し,改札口にそれを通してチェックインして,その後セキュリティチェックとパスポートコントロールがある.イギリスを出国したらすぐフランスの入国ゲートがあり,日本人だからかちゃんとパスポートにスタンプを捺してくれた.スタンプは汽車のマークがついていてかわいらしいかった.
残念ながら今回取ったチケットはFirst ClassでBussiness Premiumではなかったので,ラウンジアクセスはできず,庶民的に待合室で30分ほど時間をつぶした後,15:11のEurostar 11号車に搭乗,いや乗車.First Classはシートが多分ゆったりしていて(Standardを見ていないので比べられないが),この時間帯なら軽い食事とワインが提供される.フットレストがあり,座席を倒すことができ,AC電源があり,新聞などが自由にもらえる,といった内容だから,まあANAのスーパーシートプレミアムみたいなものだろう.乗ったことないけど.
ロンドン出発後,すぐにワインが提供された.そして軽い食事.ポークの煮込み+ニョッキ,パンとチョコレートケーキで,なかなかおいしかった.これなら今日は夕食はあまりいらないな.
その後いやにゆっくり走っているなあ,こんなんで3時間でパリに着けるのか,と思っていたら,45分ほど経過したところでアナウンスに曰く「先行の車両がTechnical problemが生じたので,それに乗っている客を次の駅でこっちに乗せ替える.だから30分ほど遅れる.すまん」とのこと.なんだ,そういうことか.でもまあ,急ぐ旅というわけではないし,パリについても予定はないし,私たちが乗り換える方でもないのだから,いいことにしよう.
結局前で停まってしまった車両を私たちが乗った電車で押す,という形になったようだ.
延々と停車&ちょっとずつ前進を繰り返した挙げ句,外に大荷物を抱えて歩く人々の姿があらわれた.乗り換える人々らしい.16両くらいあるはずだから,乗り換えるのも大変で気の毒なことだ.まだしも雨じゃなくてよかったといえよう.しかし結局ほぼすべての人を乗せたのが既にパリに着いているはずの時間だった.30分なんてかわいい遅れのレベルではなーい.とはいえ,まあ,後続もすべて遅れが出ているはずで,そうなると直後の電車はまだロンドンを出発すらできていないであろうから,もしこれに乗る予定にしていたら,どんどんと混雑してくる待合室で待ちぼうけを食らわされることになっていたのかもしれない.
実に3時間ほどもの停車を経て,ようやくすべての乗客の積み替えが完了.待避線からバックして本線に戻り,本来のEurostarらしくぶっとばし始めたのはもう仏時間で20時にもなろうとする時刻だった.ワインの酔いも醒めたし,さすがに日記も現在に追いついてしまって暇暇なので,AC電源をフル活用してお仕事.チュートリアル論文に対するNボスからのさらなる閲読コメントへの対応作業がほぼ完了した.パリ到着は22時予定とのアナウンスがあった.ロンドン時間でいうと21時だから,やはりほぼ3時間の遅れである.
15分ほど走ってようやくドーバー海峡付近に到達.左手には車で越えるためのEuroTunnelがあり,パスポートコントロールのゲートがあった.Eurostarで通過するのにかかる時間は20分.近いものだ.その後は順調に3時間遅れでカレーなど各駅に到着していくが,リールからはもうコネクションがないからパリまで乗れや,などとアナウンスがあったりして大変そうだった.
ちょうど6時間かかってようやく22時15分頃にパリに到着.もう辺りは真っ暗だ.ホームには迎えの人たちが鈴なりになっていて混雑していた.Refundができるらしい書類をもらい,少々Euroの現金を調達してからタクシー待ちの列に並んだ.さすがフランス,プジョーが多い.私たちもプジョーの407をつかまえて,一路ホテルへ.10分もかからずホテル・インターコンチネンタルにたどり着いた.時は既に23時前.さすがにちょっと疲れた.
ホテルは1887年創業ということで,歴史を感じる豪奢なつくり.セーヌ河畔のテュイルリー庭園の向かいにある.部屋は3Fのクラブフロアで,結構広い.クイーンサイズのベッドが2つあっても狭く感じないくらいだから,多分50平米くらいだろうか.パリのホテルは部屋が狭いと聞いていたので覚悟していたのだが,想像していたよりはマシな部屋だった.コンプリでシャルドネのフルボトルとリンゴ2つがあるのもインターコンチのスタンダードサービスだ.これで前払いのお得レートでEUR250.しかし備え付けのLANポートからはうまくネットにつながらず,また不自由なネット環境を強いられることになった.頼みはWebTVのみである.当然日本語入力はできないし,ワイヤレスキーボードのトラックボールが異様にふがふがしていて使いにくいのが面倒だが,まあなんとか情報を入手するためには使えそうだ.
24時頃就寝.どうも壁や天井が薄いらしく,上下の音がよく聞こえた.古いホテルはこんなものだ.
今日もまずまずのお天気。ウィーンに移動。
まずまずのお天気の中,プラハを10時に出発.ウィーンまでは約300キロだ.半分くらいは高速で東に行き,その後は地道でどんどんと南下すればよい.国境付近はやっぱり怪しげな雰囲気だったが,お商売のお姉さんはおらず,代わりにカジノや怪しげなアジアンマーケットなどがあった.今度は一応ポリスがパスポートを改める手続きがあった.
ウィーンに入ったらまず少し中心部から離れた中央墓地へ.ここはベートーヴェン,シューベルト,ブラームス,ヨハン・シュトラウス父子,スッペなど音楽家の墓と,モーツアルトのモニュメント(彼自身の墓は別のところに,しかも共同墓地に雑多に埋葬されているので正確にどこにあるかは分からないそうだ)などがある.しかしそこに近い入口ではないところから入ってしまったために,広大な墓地内部でかなり迷う.中央墓地のトラム駅はゲート1の目の前にあるのだが,楽聖特別区32Aが近い大きな門はゲート2なんである.もちろん墓地には違いなく,歩いていても実にはかばかしいので楽しいのだが,かなり歩いた.途中で杖をついたおばあさんがいかにもここに先祖の墓がありそうにない私たちを訝しんだのか「モーツアルトの墓探してるのか」と片言の英語で聞いてきて,親切に道筋を教えてくれた.ありがとう,おばあさん.無事いろんな墓が見られました.…でも後で検索したらボスコフスキーの墓とか見逃していたことが判明.明後日行き直し!
その後はウィーン中心街に入り,スムーズにホテル・ブリストルを見つけてチェックイン完了.欧州らしいクラシカルな作りの部屋で,ベランダに出ると目の前が国立歌劇場という恵まれた立地だ.国立歌劇場に面した部屋(我々の部屋もそうだったが)には歴代音楽監督の名前の付いたプレートが掲げてある.残念ながら知らない人だったけど…
チェックイン直後に大粒の雨が降り始め,1時間くらい土砂降りに近い感じで足止めを喰らった.その後あちこちに海ができた通りに出て周囲をぐるっと一回り.ムジークフェラインの本物を見て感激.ミーハーだと言われてもいいから,いつかはニューイヤーコンサートを聴きに来たいものだ.
そろそろ時差ボケも取れてきて,6時過ぎに起床.雨戸を閉めていると明るくなっても全然分からなかった.
朝はごはんと昨日のスープの残り+バナナ(ご夫君は+ヨーグルト)を食べて,8時過ぎに出発.まずはアパートの窓から見えている丘の上の「ボローニャ城」(ご夫君命名)に向かう.途中,サッカースタジアム(レナト・ダッラーラ)も車窓見学.ボローニャ城は,実際はMadonna di San Luca という教会だった.丘を巻くように延々と続いている回廊を歩いて登り,教会に向かう人もたくさんいた.教会はかなり規模が大きく壮麗で,明日の被昇天の祝日の準備がおこなわれていた.巡礼に来たらしき聖職者の姿もたくさん.異教徒(…でもないか.特に信じている宗教があるわけではない)のわれわれとしてはボローニャの街が一望できるのでは?と思ったのだが,残念ながら教会の裏側には出られなくて,背後の田舎風景しか見られなかった.
次に,いよいよ今日の大目的地サンマリノ共和国に向けて出発.途中までは昨日と同じ高速道路を走り,リミニに出るという100キロちょっとのルート.昨日より道路は空いていて結構スムーズに走れた.時速120キロ or upper くらいのイーブンペース.ドイツよりも「ぶっ飛ばしている」車は少ないが,それでも「あれはどう見ても180は出てるやろ」という車もたまにいる.リミニの近くまで来ると右手にいくつかの城塞を備えた岩山が見えてきて,それがサンマリノだと分かった.Rimini Sud出口で降りてその岩山に向かうと,10キロ少々で国境を通過.道路に赤いペイントがしてあるだけの簡素な国境だった.まあそれはEU圏内は最近どこも同じかも.
サンマリノの(観光の)中心部は岩山の上なのだが,ケーブルカーの乗り場のあたりで警察官が誘導しており,どうやら許可をもらっている車以外は市街に入れないようすだったので,適当に駐車場に車を停めて,ケーブルカーで登ることにした.ケーブルカーはものの1分ほどで山頂に到着.観光客でごった返す狭い石畳の坂道を歩いて,教会,城塞×2をめぐる.観光スポット間は狭いがよく整備された遊歩道でつながっているのだが,両脇にはびっしりと土産物屋やレストラン,バールが立ち並んでいる.しかも土産物屋に並んでいるものがすべて微妙.バッグなど革製品はまだ分かるとしても,なぜか鞘に収まった竹刀などもあったりして,「正義」という札がついていたり「Kill Bill」と書いてあったりする.まるで修学旅行生相手の京都の土産物屋のようだ.まあ,観光産業で保っている国(ちなみに人口は2万人台だそうだ)だから仕方がないのかな.しかしこういうところでバッグを買う人の気持ちがよく分からない.が,結構売れていた.城塞からはアドリア海まで見渡せて,360度の眺望がきく.ここだけがまだ共和国として独立している意味はよく分からないが,きっと昔は難攻不落の城だったのだろう.ちなみにF1のサンマリノGPはこの国でおこなわれているわけではなく,数十キロ離れたイタリアのIMOLAという街でおこなわれているそうである.
今日は「16時には宿へ!」が合い言葉だったので,14時にはサンマリノを離れ,途中またしてもマクドでのランチを挟みつつ,一路高速をぶっ飛ばしてほぼきっかり予定通りに帰着.高速沿いにたくさんあるブドウ畑等々を撮影したかった(それ用だとしか思えないような退避スペースもある)のだが,「撮りたいぞ」と思って以降ちっともフォトジェニックな場所があらわれず,結局うまく停まるタイミングがつかめなかったのは残念だった.
というわけで夕方はゆったりとフラットで過ごす.食材の都合上今日もスパゲティボロネーゼ+ジャーマンポテト+じゃがいもとにんじんと玉ねぎのスープとなった.ジャーマンポテトとスープは,明らかに「煮たか焼いたか」の差しかないが,まあ勘弁してほしい(笑 リビングのソファに寝そべってどうでしょうイタリア編やウルトラクイズメモリアルなど,持ってきたDVDをゆったり楽しみ,その後は荷物のパッキング.やっぱり22時過ぎには眠くなってぐー.
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今日は朝方天気が良く,その後雲が出るとの予報なので,3日前にも出かけたが曇りがちだったSchewabacher Roadに再度挑戦.前回は曇っていたのでそれほど寒くなかったのだが,今朝は放射冷却で寒い寒い.気温は32Fだからほぼ0℃だ.フリースは着込んだが中はTシャツ1枚.というわけで寒さにかじかみつつ自分なりのベストポジションから刻々変わる山の風景を定点観測した.1分ちょっとに1回ずつシャッターを切って1時間弱頑張ったので,それなりの「ぱらぱらアニメーション」はできるだろう.その後またあきらめきれずにOxbow Bendおよびその奥のオフロードを抜けたところに行ってみたが,やはりペリカンしかおらず.
ホテルに戻って朝食等々後,10時過ぎに再度出発して今度はJenny Lake方面へ.湖沿いのドライブロードをたどった後,シャトルボートに乗って対岸へ渡った.つまり今まで眺めていた山脈側に取り付いたことになる.半マイルほど登ってHidden Fallを見学していたら,遙か上の方の岩肌に数名のロッククライマーが張り付いていた.彼らは今日一日のうちに登って降りてとできるんだろうか.すごすぎる.その後,帰りはシャトルボートを利用せずに(決して2人で5ドルをけちったわけではない)湖畔のトレイルを2.5マイルほど歩いて戻った.道々はリスが顔を出したり,湖をのんびりと行き来するボートやカヤックがいたり,圧倒的なグランドテイトンの山頂が眼前に迫ったりと,変化に富んだ風景を楽しむことができた.
近くのピクニックエリアでいつものおにぎりランチの後,Chapel of Transfigurationという観光スポットへ.途中の平原ではプロングホーン(かわいい鹿)を初目撃.チャペルは丸太作りのこぢんまりしたもので,多分モルモン教のものと思われる.周辺にはモルモン教の入植者の夢の跡らしき小屋が点在していた.
15時過ぎにホテルに帰還.少し天気も悪くなってきたので,部屋の窓からのんびり山々を鑑賞しながら,ゆっくりと過ごすとしよう.
ビデオカメラを持っている人は既に絶滅状態に近い.デジカメ,しかも一眼レフ率がとても高い.中には「バズーカ」を抱えたマニアックな人もちらほら.
中国人が多い.日本人も今週に入って増えた.欧州系のどこか分からない言語を話す人も比較的多い.
そういえばMauiでもさんざクジラを探しに行って結局一番いい跳びを見たのはホテルの部屋からだったが,今日もそんな感じ.ホテルの前の散策路でムースを,ホテルの部屋の窓から鹿を発見.わざわざ出かける手間はいらなかったようだw
ラ・プロウズベイから古代ハワイアンの遺跡の中を1時間歩いてたどり着くというKeawanakuビーチに出かけようと思っていたのだが、駐車場に怪しげな風体のおじさんの車が停まっていて、どこに出かけるでもなくなぜか荷台でボンゴを叩き始めるというふるまいに及んでいるのを見て、中止w ただの音楽好きのオッサンである可能性も高いが、われわれが決して小一時間では帰らぬであろう道に、明らかにシュノーケルをする準備をして入り込むのを見て、何かやらかす可能性も捨て切れなかったのである。
仕方がないので最果てビーチに行くのはハレアカラサンライズと同様に次回の宿題ということにして、Uluaビーチでシュノーケリング。前回溺れかけた場所であるw 今回は恥ずかしげもなくライフジャケットを着用して挑んだ。岩礁のあたりは波がきつくてやっぱり怖いが、それでもそれなりには楽しんだ。
前回の滞在のときたまたま買ったガイドブックの改訂版。今回もマウイに来てまず入ったコスコで$11弱で手に入れた。個人の匿名覆面調査によるもので、かゆいところに手が届くというか、センスが合うというか、とにかく非常に小気味のよい内容。いちいちウィットに富んだ表現が(特に悪口を書くときは!)多用されているのもいい。出版社のウェブサイトで最新情報もチェックできて、便利便利。ロンプラだととにかく安さ至上主義の情報しかないが、この本だとそれなりに高級なホテルやレストランの情報もちゃんとある。
で、オアフ版も買っちゃいました。こちらはコスコになくて、Bordersで$17弱。日本でアマゾンで買う方が安いのか…。
本日も4時過ぎに起床.昨日の日記を書きつつ高槻M君の「思い切っちゃった話」をGtalkで聞きつつ明るくなるのを待つ.まずまずのお天気で,涼しい,というか,寒い.
7時過ぎにアパートメントを出て,早朝の街歩きへ.今回の旅行は1週間という限られた日程なので駆け足で4カ国を回ることになってしまったため,宿泊地の市内観光は移動前の数時間が勝負という感じである.美術館だの宮殿だの教会だの城だのに入りたければ不自由だが,観光客が少なくて街の雰囲気は気楽に楽しめるのでそれはそれで悪くない.大体,宮殿だの教会だの城だのは,相当に思い入れや関心がなければ,どこへ行っても中身は大同小異である.歴史をよく知らないままに「へー,ほー」と見たところで特段の感慨はないものだ.…と自分で自分に言い聞かせて,城壁にぐるりと取り囲まれた街を巡る.朝市が店を開きかけており,土曜日の街は早くも活気づき始めていた.野菜や花など売っているのは眺めているだけでも楽しい.
ルクセンブルクは環状の城塞にぐるりと取り囲まれていて,その内部と城壁下の市街,それにさらにその外の新市街がくっきりと区切られているのが特徴的な街だそうだ.その街並みがまるごと世界遺産に指定されているのだそうで,そこここに解説のアクリル看板が立てられている.しかし,すべての看板がフランス語とドイツ語で書かれているため,中身はよく分からないのだった…
1時間ほど散歩して,アパートメントに帰還.ホテル風のサービスも提供しますよということで,コンチネンタルブレックファストが提供されていた.口コミ情報にはバッドポイントとして「breakfast is poor」という記述が目立つが,われわれにとってはそれでじゅうぶん.昨日スーパーで買ったローストポークとチーズを挟めば,あっさりとランチが一丁上がり,である.
9時過ぎにチェックアウト.一路車はベルギーへ.一路といっても20分も走らないうちに国境を越えた.そこにIKEAがあった.白い食器はここで買われたに相違ない.
今回の旅は,大変多くのデジタル機器を持ち歩いている.数え上げてみると,
ノートパソコン(2台) デジタルカメラ(一眼レフ2台とコンデジ1台…一眼レフは次回から1台でよいことを学習) iPhone ガラケー(2台) b-mobile Wi-Fi iPod(車内BGM用) ワンセグテレビ(SDカードを入れてビデオを見る)
というわけで,アパートメントの部屋に着くなり大充電大会になる(といっても私はぼーっとその大会を見ているだけである).数年前は部屋に着くなりインターネット接続大会だった.10年ほど前なら,まず最初にやるのは部屋備え付けの電話機からモジュラーケーブルを引っこ抜くことで,差し替えできるタイプかどうかがクリティカルな問題だった.しかし,今はそれは苦もなくできるようになった.また,最近は車の方も電源やらUSBの口やらがやたらと充実しているので,iPhoneとiPodとb-mobile WiFiは常にAC電源から充電しながら使うことができる.ほんの数年前はiPodだとトランスミッターでFMに飛ばしたものを聴くしかなかったのが,今では外部機器接続を選べば済むから簡単である.こうした環境の進歩はことのほか急速だ.
なお,移動中の諸々のネット端末の接続は,昨日まではソフトバンクの提供する海外パケ放題(vodafone NLとde)を利用していた.しかしルクセンブルクとベルギーではそれがないので,T-mobileのSIMカード(ネット通販で携帯電話端末を買って,そこから引っこ抜いている)をb-mobile WiFiに挿して使っている.パケットは50MB(2200円くらい)買っているそうだ.
ベルギーに入り,まずはミューズMeuse川沿いの断崖絶壁の麓にある街ディナンを観光.いかにも堅牢な石造りのノートルダム寺院があり,その上には城塞がある.寺院は内部のステンドグラスがなかなか素晴らしかった.城塞には,ロープウェイと階段で自力で登るという2つの選択肢があり,どっちを選ぼうと入場料は7ユーロ徴収される.もちろん私たちは坂路調教を選んだ.408段の石段は,最初の半分こそステップが高くて大変だったが,その後はそれも緩くなり,そんなに大した負担ではなかった.城壁から街を見下ろし,また同じ石段を下りて,川にかかる橋から城塞を見上げて,ちょうど一時間.
ディナンを出た後はひたすら200キロほど先を目指してベルギー国内(フランスとの国境ぎりぎりのところ)を北上.目指すはウェストフレテレンである.酒こそ我が人生,ベルギービールにも造詣が深くていらっしゃる汗かきS君に「ベルギービールでちょっと面白いって言ったらなに?」と教示を乞うと「トラピストビールの中でも幻と言われるウェストフレテレンですかね〜」と言われたので,何も考えずにそこに行ってみることにしたのである.数あるベルギービールの中でもトラピストビール,すなわち修道院が醸造しているビールは6種類ほどしかないのだが,中でもウェストフレテレンは一般の卸売りを(少なくとも公的には)しておらず,現地に行って飲むか,限られた数と種類のものを限られた日の限られた時間帯に1ケース単位で,しかも事前に予約して,さらには車で行く場合はプレートナンバーまで申告して買う仕組みになっている.事前の予約は必ず電話,しかも発信者通知のものでなければならない.電話番号や車のナンバープレートは記録されていて,1ヶ月に1回しか同じ番号や車では購入できないことになっているのだそうだ.なんという敷居の高さ.それでも一応はオランダ着後に何度か電話予約を試みたのだがいつも時間外らしくつながらかった.仕方がないので徒手空拳で現地突撃となった次第である.
現地は片田舎のさらに外れという修道院らしい立地だが,自転車や車でわらわらと人が押し寄せていた.予約者はドライブスルーで購入できるらしく,車列をなしてケースを運ぶ人たちがいた.しかしわれわれは指をくわえてそれを見つめることしかできなかった.ビアカフェの方で提供されていることもあるというグラス2個とビール1本のギフトセット22ユーロも残念ながら在庫なし.仕方がないので現地で体験レポートすることに.感想は,
んー,まあ言うても,普通ちゃう?
現地で現物を飲んだ人間だけに許される,優越感に溢れるコメントであったw ケース買いの夢は次回に持ち越しである.
実はすっごく大変だったのだが,とりあえず無事に着いた.小ネタとしては,やっぱり食器はまったく同じIKEAのだったとか,レセプションの兄ちゃんが自慢げにiPhoneを操作しながらWiFiのつなぎ方を御指南下さるのでこちらも対抗して出して「あ,それ新しいやつ!どこで買ったんだ!こっちじゃなかなか手に入らなくて… やっぱりいいか?ほんとiPhoneって一度手にしたらもう手放せないよな!」と言わせたとか,うっかり車でアラブ人街を通ったら前の車同士が喧嘩し始めて,おばさんがキレながら出てきて自分の車のトランク開けて敷いてあるもの引っぺがすから銃でも出すのかと思ってぎょっとしたとか.そして窓からの眺めはこんなの.
今日は少し趣向を変えて,車を1日借りてドライブへ.日曜日ということでレンタカー業者に休日が多く,当初は少し街はずれの営業所まで借りに行かなければならないと思っていたのが,コンシェルジェに相談したら実はある業者のホテル至近の営業所が開いていて,予約も代行してくれるとのこと.自分で借りて返せばフルインシュアランスで一日EUR100というから悪くない.借りたのはフォルクスワーゲンのポロ.
フィレンツェといえばトスカーナ地方,トスカーナ地方といえば丘陵地帯で,その丘陵地帯では「キャンティ・クラシコ」などでおなじみのワインが盛んに醸造されている.中でも「オルチャ渓谷」という地帯が世界遺産(自然遺産)に指定されているということで,今回の目的地はそこである.位置的にはフィレンツェとローマの間,シエナを起点とする地域で,今回もまずはシエナまで自動車専用道路(not高速道路)で向かい,そこからは地元の道を回っていった.春に来ると緑が萌え萌えなのだそうだが,今の時期だと既に収穫の終わった畑もたくさんあって,全体的に茶色っぽい.とはいえブドウ畑はまさに収穫一歩手前といった雰囲気で,特に赤ワイン用の暗褐色の実を重たそうにぶら下げたブドウの木がたくさん連なっていた.またひまわり畑もあり,多くは既に開花を終えてがっくり首を垂れていたが,数カ所まだまだ咲き誇っているところもあり,道すがらもあれこれと撮影を楽しむことができた.
街というか集落は,モンタルチーノやピエンツァ,モンテプルチャーノなど,渓谷の中に点在する丘の上に張りつくようにあって,どこもきれいに整備された立ち寄り観光スポットとして繁盛していた.端から端まで歩いてもものの10分くらいというところがほとんどで,目抜き通りにはワインやオリーブオイル,ペコリーノチーズを売る店がたくさんある.地区の教会があり,時計台があり,まあどこも同じだ.しかし暑いのなんのって,日陰であれば何の問題もないのだが,遮られることのない太陽の日差しの厳しいことったらなかった.シエスタの習慣はまさしく生活の知恵だと言えるだろう.日本もそうすればという意見は節電が喧伝される昨今また多くなっているが,当地のように「昼間さえしのげば後は快適」という気候ではないだけに,あんまり実効性がないような気もする.
途中,渓谷の中を駆け下りていくようなパノラマ・ロードも未舗装の道を土煙を上げながら通り抜け,すっかりすすけた車で18時頃に帰着.
北西部のフィヨルド地帯に別れを告げて,そこへ来たフィヨルドの山脈のダートロードを戻り,今度はフェリーで南下.西アイスランドのスナイフェルスネスSnefellsnes半島をぐるっと半周して,Hellnarという海沿いの街で一泊.
行きのフィヨルド山脈越えはずっと雨と霧で何が何だかよく分からなかったのだが,帰り道は晴れ.昨日走った一帯は入り江になっていて海とフィヨルドのコントラストが印象的だったが,山越えもまた別の趣があっていい.ただし,風景が見えるだけに自分たちが切り立った山際を縫うように走っていることがよく分かって恐怖感は増すw ところどころ氷河…ではないか,雪渓が残っていて記念撮影してみたり.2時間半ほどでフェリー乗り場のあるブレイザフィヨルズルBjarnslaekurに到着.
フェリー(1日2往復)は対岸のスティッキスホゥルムルStykkisholmurまで3時間の航路で,途中Flatey島に立ち寄る.車は30台も入ればギッチギチであり,観光客の乗船は多いので夏は予約が必須と言えそうだ.ここはパフィンが営巣している土地とのことだったので写真を撮ろうと頑張ったが,わずかに数羽が飛び交っているのを小さく収める(それでも割といいのが撮れた!と思い込む)ことしかできなかった.やはり既にパフィンを見るには若干季節が遅いらしい.船内でお手製サンドイッチの昼食をとったが,よく見たら柱に「飲食持ち込みご遠慮ください」と書いてあった.気づきませんですみませんw
フェリーから下船してスナイフェルスネス半島を反時計回りにぐるっと巡りながら,宿泊地を目指した.こちらはフィヨルド地帯とは別世界の趣で,こちらは氷河をいただいた山の麓に火山活動の跡がくっきりと残る平原が広がっている,ハワイあたりによくあるような風景が広がっている.途中,滝に立ち寄ったり(しかし大きな滝はその滝壺まで車で行くことはできず,隣の小さな滝でお茶を濁したので納得がいかなかった),世界でもっとも古い(20世紀初頭に建造されたそう)コンクリート造りの教会を訪れて墓地巡りを堪能したり,足の向くまま気の向くままに立ち寄り観光をエンジョイ.墓地ではアイスランドの家族制度(名付け方)に思いを馳せたり.この件についてはその後TLやFBで新たな情報を得たので,もう一度どこかで墓地に立ち寄りたいものだ.
18時過ぎに宿泊先のHotel Hellmarに到着.こぢんまりしているがとても美しい場所にある清潔な宿で,しかもなぜかバルコニー付きのもっとも広い部屋をアサインされた.他の部屋のおそらく倍近い広さがあり,口コミ情報では(おおむねとても評判はよいのだが)「写真で見たより部屋が狭いじゃん!」的なバッドポイントが挙げられているところなので,とてもラッキーだったと言えるだろう.バルコニーからは広々とした海が眺められ,遠くには明日戻るレイキャビク近郊も望むことができた.
ごはんを炊いてバルコニーでカレーを食べ,この旅で(私としては)初めてビールを一缶飲んで,いい気分.特筆すべきことには,22時まで起きていられた.
朝は曇り空.アパート正面に見えるはずのアイガーは見えず.しかし,ライブカメラで確認したところユングフラウヨッホは快晴だったので,7:17始発の登山鉄道で山へ向かった.この登山鉄道は,なんとアイガーのどてっぱらを突き抜けてユングフラウヨッホ(メンヒとユングフラウの間の鞍のようになっている部分)に達するという途方もない方法で敷設されたそうだ.日本で言えば富士山にトンネル掘るようなものか.生駒山ならともかくそれはない,っていうことをやらかしてしまうところに,スイスの観光立国への執念を見たといっても過言ではないだろう.
予想どおり雲を2層突き抜けて,ユングフラウヨッホは快晴だった.3500m近くあるので高山病に注意といろんな人に言われたが,体調がよかったのか元々高山病に強いのかそれとも偶然か,特に何の症状も出なかった.気温はマイナス3度ほど.日陰はさすがに冷え冷えして手がかじかんだが,太陽が出ているところは特に寒さを感じることはなかった.服装はヒートテック+ウールの厚手セーター+袖無しダウンジャケットなり.写真の左がメンヒ,右がユングフラウ.
滞在30分ほどでクラインシャイデック(乗り換え駅)までとって返し,再び1駅分だけ登って今度はハイキングで降りた.残念ながらかなり雲がかかってきていてオーバーラント三山を完璧に眺めることはできなかったが,それでも爽快な眺望の中を歩くのはとても快適だった.明日もし朝からグリンデルワルトが快晴なら,是非もう一度チャレンジしようと固く決意.
13時すぎにアパートに戻り,キルシュのファンタオレンジ割を飲んだら急激に眠くなり,昼寝→夕食→夜寝と昏々と睡眠をとった.ハワイからこっち,細切れにしか寝ていなかった分を取り返せたかもしれない.
Before...
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