朝から18時前まで.上流のアメリカで電源関係のメンテナンスがあったそうだ.問い合わせに対するサポートの反応は大変好感が持てるものでした.
今日から村上給食がお盆休みなので,行きしなにファミマで朝食と昼食を調達した.紫明園のファミマは朝は本当に何もない.迷った挙げ句ヤマモリのピリ辛ビビンバというのを買ってみたら,案外これがちゃんとピリ辛してうまかった.一緒に買った19品目がぎっしり入ったトマトスープも,マメマメしていて,まあまあ.
でも,本当に旨いものが食べたいなあ.
週明けの雨以来,涼しいし,空の雲もなんとなく高い.気温表示を見てもいかにさわやかな朝かおわかりだろう.欧州が猛暑に見舞われている分,極東は冷夏なのだろうか.これでは米はできなかろう.
心理学実験のレポート採点が終わったので,講評と模範解答を作成する.嗚呼,過去こんなにバカ丁寧にフィードバックをしたことがあるだろうか!再提出の学生は,これを丸写しすれば黙っていても点数が取れてしまう!
でも,何がどう間違ってのかすぐ分かる人なら最初から間違いはしないという気もするわけで,間違いに気づいてもらうためには一歩一歩分析過程をトレースしてもらわなければならないわけで,そのためにはここに来ていただいてとっくりご説明申し上げるか,こうやって微に入り際に穿った模範解答でも作ってお読みくださるのを期待するしかしゃーないやん,だ.
片岡選手 勝ち越し2点タイムリー 6回表
内角のストレート。このチャンス、自分の責任において必ず何とかしたいと思った。 心から勝ちたい、その気持ちの表れがタイムリーへとつながった。気持ちなんだよ。
カッコイイ!!!(惚れ 今日はススキノで思う存分揉んでよし! 私はセブンイレブンでネットプリント!(と思ったのになかった…嫌われてる?) …でも彼は決してこんな標準語は話していないハズ.
内角のストレートやった。このチャンス、ワイの責任で必ず何とかしたいと思っとったんや。 心から勝ちたい、その気持ちの表れがタイムリーにつながったんや。気持ちなんや、気持ち!
そしてヒーローインタビュー。しかしホームゲームではないのでお立ち台はなし。あっちゃんがせっかく話をしているのに、札幌ドームの外野席のファンは、まったく傾聴せずに応援歌をがなっていた。ダメだ、あいつら。
彼らの少なからぬ一部は、アナウンスも応援団の呼びかけも無視して、当所で「禁止」のジェット風船も飛ばしまくっていたらしい。ヤツらにとっては明らかに「応援」することそのものが目的になっていて、ルールとか常識とかは二の次なのだろう。それが結果的に「阪神たたき」に結びつき、星野監督を無駄に「怒らせ」ていることくらい、わからないのか。ダメダメだ、あいつら。というわけで,7時に起きて8時に出勤し,9時過ぎに大学到着.大学は夏休みだしと思ったが免許試験場は今こそかき入れ時で,バスはめちゃくちゃ行列してた.鬱.実は今日はご夫君がその方面に用事があったので,途中まで一緒だった.
長らく大学でメイルを受信していなかったので,Spam自動判定削除ツールを使っていてもかなりの割合で判定ミスが生じる.いちいちチェックしていると,Spamに振り分けられたものの中に再査読依頼を発見.旅先でも同様のツールを使っていた(ちなみに昨夜自宅でも使った)のだが,その時はそのままSpamとして捨ててしまっていたようだ.危ない危ない.しかも〆切が23日までとか書いてあるし.はやっ!
ヨーロッパの日射しは本当に眩しい.湿度は低いので温度が高くても体感温度は(相対的には)それほど暑くないのだが,とにかく眩しくて日中はサングラスなしでは前を見て歩くのが困難なくらいだ.サングラスなど持っていない私はまいっちんぐ(死語)である.なぜこんなに眩しいのかについて「ヨーロッパ 太陽 まぶしい」で検索するとこのような解釈があった.
ヨーロッパは緯度が高くて太陽を見上げる角度が小さいために、太陽の光が直接目に飛び込んで来る割合が高いのだということなのである。そのため太陽の光を非常にまぶしく感じるのだとのこと。なるほど、そう考えてみると日本では、特に夏だったら太陽の位置は高いので、まぶしいというよりも暑い方が先に来るわけだ。
なるほどー(と言ってみたものの,実はよく分かっていない).
10〜18日は大学事務が休業中である.某T大のように「誰も入れない」わけではないが,いろんなところが閉まっている.バス停前の門以外には鍵がかかっているし,メイルボックスのある部屋も閉まっている(まあセキュリティを考えれば当然か).ローソンに行きたいと思って外に出たのだが,ローソンの真正面にある門(これが正門)は閉まっていたので,イヤになって戻ってきた.もちろん学内売店は閉まっている.食料飲料はあらかじめ買って持ち込めということだな.エアコンが切れてしまう大学もあるそうだが,そんなことはないらしい.
あ,来客用駐車場が空いているかどうか確かめるのを忘れた.
調べてみたところ,フィンランド航空は国内線すべてが自由席だそうだ.
We are also fine now. Today we enjoyed an exciting experience in many glaciers. It looks like a arctic view. Almost everything is all right, but I hate Giants :p What happened in tenth inning in Kubota?
This is 6:24 in Iceland. This is the last day in Iceland for us. Today we will visit some falls and "Blue Lagoon" and go back to Keflavik airport near Reykjavik. Can I catch watch some lovely paffins in Vik!?
We can watch many lovely puffins on the cliff of black sand beach @ Vik.
ケフラヴィーク空港近くのホテルまで戻ってきた.ここは無線LANがタダで拾えた.ようやく日本語環境復活.そして,最初のニュースは,
どっちも負けた!
またサヨナラかいなorz
今からブルーラグーン行ってきます→戻りました.
予想通りあまり寒くない.ただし天気は非常に変わりやすく,降れば土砂降りという地域もままある.雲がとても低いのが印象的.夏ならウールのものは着なくても大丈夫.ただしウインドブレーカーは雨具兼用で大変重宝した.上下とも揃えておくべき.
観光客は欧州人がほとんどで,レイキャビク近郊には中国人と日本人もちらほら.逆に言うとレイキャビクを離れるとアジア人はほとんどいない.私たちも「ひょっとして日本人かもしれない」という人に会ったのはレイキャビク近郊のみ.
外国人(しかも私たちは東洋人だ)に対しても個人をidentifyしようという意識がほとんどない.ホテルのフロントでも免税手続きでも驚くほどぞんざいだ.それでなんとかなっているのだから治安がよい証拠だろうが,それでいいのかと心配にもなる.
道は舗装道路は90キロ制限.しかしみんなもっととばしている.信号は大都市(レイキャビク,アークレイリ,セルフォス)でないと存在しない.横道に逸れるとすぐにダートになるし,面白いところはダートでもひどい方の道を通らないとたどり着けない仕組みなので,レンタカーするなら絶対に4WDでないと意味がない.運転が嫌いな人,車に弱い人は向かない.
車は日本車,しかもトヨタが圧倒的に多い.日本のメーカーで見かけないのは光岡自動車くらいなものだ.次に多いのはVWかフランス車か.ベンツはトラック以外ほとんど見ないし,BMWも絶無に近い.
携帯電話事情はよく分からない.なぜならレイキャビクには数時間しかおらず,朝でほとんど人がおらず,それ以外は観光地だからアイスランド人は多分あまりいなかったので…
物価はとにかく高い.ガソリンはレギュラー115Ikrくらい.食事をするといかに安くてもランチで1000Ikrは覚悟しなければならないらしい.ロンプラには「お得なセットを血眼で探せ」とあった.私たちはホテルの朝食以外はすべて自炊したので,かなりの節約になったと思われる.
カードはアメックスは通用しないところが多く,普通はVISA.ロンプラによるとアイスランド人は「plastic mad」だそうで,どんな片田舎でも(というか国土のほとんどが片田舎だ)カード払いが通用する.
昨日は到着しただけだったので実質的な初日。車でプラハに入ったところの町並みや、ホテルから見えるライトアップされたお城がとても美しかったので期待大だ。ただ、天気はあまりよくなさそう。昨日は雨の中をずっと走って最後はあがっていたのだが、どうやら私たちが雨雲を連れて北上した模様である。
ホテルは至極快適。昨日のホテルも悪くなかったはずだが、広さも調度もランクが違う感じだ。さすがフォーシーズンズ。ただ、スタッフの話す英語がフロントからベルからルームサービスの担当者までめっちゃ早口なので聴くのが大変だ(笑 iPodをつなげるスピーカがあったので、早速持ってきたクーベリックが1990年に振った「わが祖国」をかけてわかりやすく雰囲気を作ってみた。
考えてみれば今回の旅行、ザルツブルグ−プラハ−ウィーンと見事にモーツアルトの足跡をたどっちゃっていて、生誕250年に合わせたかのようなミーハー企画に見えないこともない。ということに昨日コンサートを聴きながら初めて気がついた。恥ずかしい〜。実際のところはそんなことは何も考えてませんでした。
ドイツ・オーストリアを走っていると、車の後ろにキャンプ用サイトをつないで引きずって走る車がとても多い。基本的にスピードを出して走っている車がほとんどだが、その分バスやトラックなどとのスピードの差が際立っているため、テンポの切替が難しい。ただ、交通マナーはいい感じ。走っている車種はドイツ車中心ながらも、プジョーやルノーもたくさんいて、もちろんトヨタやマツダ、ダイハツの車まで。
それがチェコに入るとやや様相が変わる。今度は屋根の上にMTBを積んだ車がとっても多い。家族全員分だろうか、普通の車でも4台くらい積んでいるのがたくさんあった。車種はややドイツ車が少なくなり(治安がよくないという理由で、レンタカー会社はドイツ車でのチェコ入国を禁じていた)、代わりにSkodaという地元車が増える。そして運転マナーは…悪くはないが、怖い。ものすごいスピードで飛ばしまくるやつがいて、神経が磨り減った。
ホテルから歩いて出発。まずゲットーつまりユダヤ人街へ。チェコはそもそも第二次大戦の頃まではドイツ人とユダヤ人が非常に多く住んでいたところだったそうだ。1200年代からあるというシナゴーグやユダヤ人墓地などを見学。墓地はそれほど広さがないのに何百年も埋葬が続けられてきたために、折り重なるように、いや実際折り重なって墓石が並ぶ。なかなか壮観だ。シナゴーグの中は残念ながらみな撮影禁止だったが、展示物はほぼすべて「ユダヤ人はこんなに偉い」ということを強調するものだった。自らの国を持たない彼らの誇りの源泉が良くわかる。カフカやフロイトなど、なじみのある名前も多かった。シナゴーグ内では、男性はふち無し帽子を頭にちょこんと乗せるよう指示される。
その後ちょっとだけ地下鉄に乗って旧市庁舎や市民会館などがある町の中心地へ。市民会館は「プラハの春」音楽祭が開催されるところで、隣には対ロシア戦争時に火薬庫として使われたという塔がある。塔に登るとプラハの町並みを眺め渡すことができた。旧市庁舎には中世のからくり時計(ただし現在は電動だそうだ)があって、毎時0分にからくりが動くことになっているらしい。ちょうど15分ほど前に行き合わせたので、そばのカフェで休憩しながら見学。同じように、あるいは道に立ってからくりが動くのを待つ観光客多数。いよいよ動いたからくりは40秒ほどであっさり引っ込んでしまい、何ともいえない落胆が周囲を包んだのであった。そう、つまりは「これで終わり?」的にあっけなかったんである。
その後は、カレル橋を渡ってプラハ城方面へ。ユダヤ人街から既にそうだったがとにかく観光客が多い。橋は歩行者天国だが、押すな押すなくらいの勢いである。観光客はもちろん欧州の人も多いが、アジア系もかなりいる。ただし、日本人は驚くほど少なく、中国人と韓国人が驚くほど多い。なんでもプラハにはKALが直行便を飛ばしているそうだ。天気を心配していたが、この頃から晴れてきてかえって暑いくらいになる。
いろんな聖人の銅像が並ぶ橋を渡りきったら、今度はだらだらと続く石畳の坂道をのぼりながら城へ。途中CDショップに行ってドボジャーク等々のCDを購入。CDはケースだけ並べてあって、レジでディスクを入れてもらう仕組み。間違えられてもわからない。レジのお姉さん、ネドヴェドに似た、ちょっとエラの張った美人さんだった。
城の中には大聖堂があって、ミュシャ(チェコ風に発音するとムハ)作などのステンドグラスが必見とのことだったが、異様に行列しているのであっさり中に入るのをあきらめて、広場から外見を眺めるのみにする。「さすがは中欧のパリ」とはご夫君の言だ(ところで中欧のパリとか東欧のパリとかいうのはいったいどこを指すのか、どうやらまちまちらしい。プラハかブタペストかブカレストか。まあ小京都みたいなもんだろう)。大聖堂はゴシック様式の壮麗な建築で、近くまで来てしまうととてもカメラのフレームには収まりきらないスケールだ。雨どいが人型をしていて気持ち悪い。その後はお土産屋さんが軒を連ねる黄金小路(なんとここに入るのに入場料を取られる!)に行き、カフェ・カフカで軽くランチした後にいろいろお土産を見繕いながら歩いて、まただらだらと坂を下り、モルダウを渡ってホテルに帰着。
ホテルで休息を取った後、夕食は旧市街広場に面したチェコ料理の店へ。日本語メニューまである観光客向けの店だが、ビーフシチューなど郷土料理はなかなか美味だった。また、ビールもおいしくとても安い。プラハの人は昼からビール、が結構普通らしかった。
昨日チェコ−オーストリア国境付近でたくさんお商売らしき女性がいたと書いたが、調べてみてわかった。チェコは売春が合法なんである。
無事到着.中心街の端っこにあるサービスアパートメントに3泊滞在予定.ただ現地で無線が拾えないので,しばらく更新が間遠になります.携帯は普通につながるのでmixiはちょくちょく更新してます.
今は空港に両替にやってきたついでにVodafoneのWiFiをつかまえて執筆中.本日〆切の原稿を送るためなのでした(笑
今からフェラーラとラヴェンナにいってきます.
夜は風が強くて雨戸ががたがた音を立てる.初めての滞在する部屋で,しかも付近の治安がよく分からないので,ちょっとドキドキ.しかし考えてみればあの厳重なセキュリティで5Fまで上がり込んでしかもベランダから雨戸を揺らされていたらそれはすごい.とにかく,5時くらいに起床.
朝は,昨日と同じごはん+インスタントみそ汁を食べて出発.まず,アパートが無線LANを拾わないので,携帯では済まない(つまり添付ファイルを送る必要がある)仕事を片づけるため,ボローニャ空港に行ってネット接続を試みる.ノートパソコンを開いたまま空港内をうろうろ歩き,出発ゲート付近でVodafoneのWiFiを拾うことができた.30分5ユーロ.高いが仕方がない.ついでに両替所でTCを両替するも,手数料を8.5%も取られてご夫君は「アメックスのオフィスなら手数料ただなのに…」と凹む.実は昨日,ミュンヘンの空港のアメックスオフィスで両替したかったのだが,パスポートコントロールの向こうにしかオフィスがなく,シェンゲン条約内=ドメスティックフライトな私たちは入ることができなかったのである.
さて今度は高速道路に乗り今日の第一の目的地ラヴェンナへ.高速はところどころ車が多くやや渋滞気味だったが,1時間ちょっとの道のりでラヴェンナに到着した.ラヴェンナは故・林さんがよく夏に滞在しておられた街で,5世紀など随分昔の教会がそのまま残っており,しかも内部が美しいモザイクで彩られているので有名だ.そのモザイクのある教会たちを求めて観光を開始.最初は一カ所に車を停めて歩き回ろうと思ったのだが,案外暑いのと,端から端まで歩くと30分は楽にかかりそうなので,途中で方針を変更し,車で移動しながら回ることに.どこのモザイクも金や青など深みのある色遣いで美しい.しかもモザイクだと言われないと分からないくらい緻密な表現もあって,描かれている人々の表情も豊かである.思わず三脚を立てて撮影していたら「それはダメ」と怒られた(笑 暗いので手持ちではぶれがどうしても避けられないのだけれど,まあ,仕方がないか.
ランチは,例によって,街中の看板に「左へ5分」と書いてあったマクドを探すが見つからず.歩いて5分も,念のため車で5分も見つからず(笑 なので,何タラヌオヴォ教会(既に覚える気持ちがない)のそばにあるセルフのレストランでスパゲティとタコ・イカ・エビのフリット盛り合わせを食す.教会の裏庭で写真を撮っている時から揚げたての香りが漂っていて空きっ腹にこたえたのである.セルフだけど揚げたてで,んまい.お腹も満ちたので,最後にラヴェンナ近郊の街クラッセに移動して,これまた美しいモザイクを見学.クラッセという街は昔は港だったそうだが,今は全然そんなことを感じさせない,むしろ内陸の土地だった.ここのスーベニアショップで,モザイクの壁掛けとペンダントトップを購入.
さて,こうしてラヴェンナとその近郊で随分時間をとってしまったが,次に第二の目的地フェラーラに移動.ここは城とドゥオモが有名らしい.移動は,一応高速道路があるにはあったのだが,ほとんどそれは名ばかりの狭い道だったので(その代わりタダだったけど),結構時間がかかった.街中心部からほんの少し離れた駐車場に車を停めて,ドゥオーモ方面に歩く.夕陽ががんがんと照りつけてかなり暑い.多分32,3度は軽くあると思われる.大阪の暑さほど押しつけがましくはない乾いた感じのするものではあるのだが,それでも温度が高いことには変わりがないので結構つらいものだ.だいぶ歩き疲れたので,城の方の観光は外観だけということにして,ボローニャに戻る.
今日は是非夕飯をまともに作りたい.というわけで行きの道のりで見つけていた町はずれの大型スーパーで待望の買い物.スーパーの中身はアメリカもヨーロッパもさして変わらず,日本でもカルフールやコスコを想像すればそのまんまである.ここではじゃがいもや玉ねぎなどの野菜がとっても安いのが印象的だった.このあたりは1ネットor1パックが1ユーロもしない.にんじんは細いものだが5本入ったパックが0.2ユーロしかしなかった.その他のものはそこそこの日本並みの値段という感じだった.部屋になかったせっけんやキッチンペーパーなども合わせて購入し,しめて19ユーロなり.レジのお兄さんに「ニイハオ」と挨拶される.少々憤然として(笑 「ジャッポネーゼ」と主張.申し訳なさそうなお兄さん,「コンニチハ」と言い直してくれた(笑
フラットに戻り,頑張って料理.食器や調理用品は大体揃っていて,包丁が案外切れるものが置いてあって助かった.しかし缶切りが上手く使えなかったご夫君は,大汗かいてトマトの缶詰を暴力的に開ける羽目になったのだった.21時過ぎにようやく食べられる状態に.スパゲティボロネーゼとじゃがいもと玉ねぎとにんじんのスープ.ま,ボローニャで食べても特に格別の味ということはなく,いつもの私のテイストでございます(笑 今日もよく動いたので,食べた途端に異様に眠くなり,再び今日もバタンキュー.
昨日ぐぅと寝てしまったまま,目が覚めたら6時を過ぎていた.大体旅行半ばでこういう「寝だめ」する時期があって時差ぼけが解消,というのがパタンらしい.キャベジンの効果か,幸いにも胃もたれもせず下痢もせず,気持ちよい目覚めであった.
朝食をとり,シャワーを浴び,ゆっくりと荷物の片付け等々をしてから10時過ぎにチェックアウト.昨日Mayuちゃんからここのホテルその他グループ会社の店で使えるクーポン券を50ドル分もいただいたので,ありがたくおみやげ用に使わせていただいた.
今日はGrand Tetonに戻る日なので,宿泊したホテル周辺の小さなドライブロードをいくつか巡りながら基本的には南下.今日も昨日に引き続いてあきれるほどの晴天だ.2つの国立公園を行き来する観光客は我々ならずとも多いので,交通量は多めだ.しかも道路工事も行われていたのでやや渋滞気味だった.しかしまあ別に先を急ぐ必要があるわけでもない.
Grand Tetonに戻ってからは,山脈を美しく眺めることのできるドライブロードを登ったり,ちょっと調子に乗ってオフロードの道につっこんでみたり.ドライブロードから眺める山脈と湖は,確かに美しかったが,雲一つなさすぎてかえって面白くないくらい.オフロードは多少がたがたでこぼこどっすんどっすんと車は揺れたが,これもまたラナイ島で体験した強烈なものに比べたらまだまだ大したことはない.終着点はスネイクリバーの河畔だったが,ちょうどラフティングのボートも下ってきたりして,山脈をバックになかなかよい写真が撮れた.帰りにカメラのレンズを換えようと一瞬車のドアを開け放ったら一気に10匹ほども蚊が入り込んできて刺されまくったのには参ったが.
そして16時過ぎに再びJackson Lake Lodgeにチェックイン.3日前とほぼ同じ眺め,そして若干無線LANの電波受信状況の良い部屋に割り当ててもらえて(笑 満足,満足.
夕刻(といっても日没は午後8時過ぎ)はOxbow Bendに出かけてみるも,多少カワウソやビーバーがいたりしただけで大物は観察できず.とはいえ,夕暮れ時の山はまたそれなりの美しさがあった.
2時半に起きて3時出発というスケジュールでハレアカラ山頂にチャレンジしてみた。もちろん、車で。
初めてマウイに来たときにツアーに参加してサンライズを見た…かったのだが残念ながら悪天候で満足なものが見られなかったため、再チャレンジを敢行したわけだ。が、今回も…。昨日まで雨などまったく降っていなかったキヘイも雨という中を出発したが、やっぱりハレアカラ山頂も雨だった。今回もまた昇る太陽は厚い雲の中におかくれでした。ああ、残念。日の出運だけはないみたい。
前にも書いた気がするが、マウイにはセミがいない。日中はとても暑いし海沿いだから湿気もそれなりにあるのだけれど、聞こえるのは波の音と木々のさざめく音だけ、というだけでもずいぶん清涼感があるものだ。ちなみに今泊まっているコンドの部屋のリビングにはエアコンがなく、寝室のそれもほとんど気休めに等しい効き方しかしないので、ずっと自然の風+扇風機生活です。あ、でも考えてみれば今年の夏は日本でもそうだったっけね(w
いつものように起床.ようよう空が明るくなり始めるのを待って外に出て,Domへ.鉄道駅を通り抜けると正面にでーんと大聖堂,というパターンは本当に珍しい.朝日を受けてまぶしく輝く尖塔を見上げながら何枚も写真を撮る.「すげーよ!でけーよ!」と叫んだ洋ちゃんとまったく同じ心境である.ちょっとむちゃくちゃなレベルで,しまいには首が痛くなった.完成までに600年かかったようだが,途中どんなプロセスを経ていたのか知りたいものだ.塔にはまだ登れない時間だったが,大聖堂の内部には入ることができた.両陣のステンドグラスは見事.今日も残念ながら掃除のおじさんはいなかった.
駅構内にはたくさんの店があり,既にその多くが営業中だった.出勤途上であろうと思われる人々が行列をなして購入しているパン屋さんがいくつもあったので,私もついつい並んでSchnecke(渦巻きパン)を購入.脳天直撃の甘さは,きっと疲労回復にはてきめんに効果的だろうw
9時にチェックアウト.今度はちゃんと「オフィス」に人がいて,対面で手続きをすることができた.オフィスと言ってもアパートメントの隣の建物の1Fで,ビールの卸売ストックヤード?と歯科技工の作業場?があるスペースにPCを1台置いて運営している大変簡易なものだった.多分,アパートメントの運用が家主さんの副業なのだろう.「今日はルクセンブルクまで行く」と言ったら随分驚かれて「あなた,ケルンのすべてを見たの?!」と問い詰められたw「something, but not everything」とお答えしておいた.
somethingがスーパーとDom周辺だけでは申し訳ないので,もう1カ所.昨日検索して目をつけていた墓地を訪問.ちょっとだけ街はずれにあるMelatenfriedhofである.いや,特に誰か有名人の墓所があるというわけではないが,地図で見ただけでもわくわくしてしまうような,かなりよさげな墓地だったのである.適当にパーキングに車を停めて中に入ると,広大な森の中に墓がたくさん.素晴らしい.しかし残念ながら移動時間の関係上「30分だけ!」とはびーに制限をつけられたので,ごく狭い範囲だけしか回れず.しかし,じっくりと堪能.洋の東西,文化を問わず,墓地はいい.
今日の目的地ルクセンブルクまでのルートは,モーゼル川というドイツ〜ルクセンブルクのワインの一大産地沿いの巡るものとなる.過去にドナウ川沿いのワイン生産地帯を走ったことはあるのだが,当時はまだワインを勉強中ではなかったので,あまりその価値を分かっていなかった.今回は「買う気満々」である.
まずはCochemという城をいただく街へ.日本人はまったくいなかったが近郊ではメジャーな観光地のようで,観光バスを仕立ててじいさんばあさんがたくさん乗り付けていた.城までの急坂を,ゆっくり杖をつきつき登っていくかれらを追い越しながら歩いて,支配者気分でモーゼル川を一望.再び街に降りて,モーゼル側沿いの岸辺に座ってランチとした.2軒ほどワインショップを覗いて,まずはごく普通にリースリングの白を1本購入.
大きく蛇行して流れるモーゼル川を一旦離れてのどかな田園地帯を走った後,再び川べりに戻るとルクセンブルクに入国.モーゼル川はルクセンブルクとドイツの国境線でもある.ルクセンブルク的には「同じモーゼル川沿いでもこっちの方が日当たりがよくていいワインができるんだもんね」だそうである.日本語のガイドブックにはどのワイナリーも見学には予約が必要とあったが,ミシュランガイドにはそんなこと書いていなかったので,適当にナビで探してPollfabaireというワイナリーに飛び込んでみた.受付のおばさんに「見学させてくれる?」と聞くと大丈夫だというので,見せていただいた.現在のワイン製造過程を解説する10分弱のビデオを見た後,案内役の女性(学生のアルバイトらしい)が中を案内してくれた.ここの(というよりルクセンブルクワインの)お勧めはスパークリングなのだそうだ.見学のしめくくりはそのご自慢のスパークリング(飲めない人はグレープジュース)をグラス1杯いただいて一人3ユーロなり.ブドウもそろそろたわわに実りつつあり,収穫の秋ももう間近という雰囲気だった.スパークリングワイン1本と白ワイン1本を購入.
ルクセンブルクは人口40万人程度の小さな国だが,そのうち10万人は首都のルクセンブルクに住んでいるそうだ.郊外におそらく唯一あるイオンモール伊丹のようなショッピングセンターでまずは買い出し.先ほどのワイナリーでもそうだったが,第一言語はフランス語らしく,とりあえずまず話しかける時はフランス語であるということが分かった.川向こうはドイツなのに,と思うが,フランスやベルギーとは川を隔てず隣国なのでそういうことになるのかもしれない.売り場ではアムステルダムやケルンよりも魚売り場が充実していて,でっかい伊勢エビ(違うだろう)を持ち上げて「さあ安いよ安いよ」とばかり魚河岸のおっさん風の人がセールスしているのが印象的だった.
今回の宿はKey Inn Appart Hotel.もちろんアパートメントタイプだが,今度はレセプションがしっかり建物内にあるちょっとしたホテル風のところだった.なぜか最上階の一番よい部屋で,広さは50平米くらいのワンルーム.天窓が贅沢に取られていて,専用ではないが広いテラスもある.中もいわゆる「デザイナーズ」的な仕上げになっていて,すべてのものが(無駄に)おしゃれな感じを醸し出していた.おしゃれということは,もちろん使いやすさとは負の相関があり,キッチンは大変コンパクト.そして,特筆すべきは,これまで3泊すべてのアパートメントで食器は同じIKEAのものだったこと.真っ白で何の変哲もないから,どんな部屋にでもしっくり馴染んでしまう最強さがあるのだろう.
夕食は魚のフリット風(「揚げずにできる唐揚げ粉」をまぶして焼いた)と,できあいのムール貝のエスカベッシュ.それにスーパーで買ったルクセンブルグ(サンマルタン)の白ワイン.やはり食べ終わるなり歯磨きするのがやっとで轟沈.
なお,ヨーロッパ完全走破パート1におけるどうでしょう軍団は,ドイツのアーヘンを出発して,ケルンでDomのお掃除おじさんダンスを見て,ルクセンブルクに達し,2時間半かかってランチwithおいしいデザートを食べて,古城街道のホテルまで一日で走りきっている.これは相当な強行軍だということが,実際に走ってみて改めてよく分かった.
自宅8時半発〜関空12時発〜(時差の壁)〜パリ17時着〜フィレンツェ20時半着〜ホテル21時着,で移動完了.今回初めてアルノ川河畔に宿(Westin Excelsior)を取った.リバービューの部屋をとったので,窓からはアルノ川と向こう岸がでーんと眺められる.左手にはヴェッキオ橋や奥にはミケランジェロの丘が見える.そんな位置関係だ.部屋はキングベッド一つに広めの洗面所(バスタブつき)で広さはごく普通.元々はグランドホテルだったのがフラッグシップチェンジでウェスティンになったところなので,内装は比較的古く,よく言えば伝統的な雰囲気.多分,すぐ隣にある同系列のセントレジス(こちらは建物自体も新しいはず)に行けばまた少し違った感じなのだろうが,今回は「一度泊まってみたかった」長年の憧れを優先させた…というと聞こえがよろしいな.うん.
これまで泊まったのはドゥオモ近辺ばかりで,共和国広場あたりでの喧噪が深夜に至っても延々と続いていたのだが,こちらは少なくとも今日はとても静か.疲れて寝てしまえば大して気にならないとはいえ,穏やかに過ごせそうである.
のんびりとか穏やかというのはどうも私たちには適合度の悪いフレーズらしく,結局一日かなり暴力的に歩き回ってしまった.おかげさまで久しぶりのフィレンツェで大事なところはすべて巡ることができた.
朝食前:ホテル→共和国広場→洗礼堂+花の聖母教会+ジオットの鐘楼→シニョーリア広場→サンタクローチェ教会→ポンテヴェッキオ→サンタマリアノヴェッラ駅→ホテル
午前:ホテル→サンタマリアノヴェッラ駅→サンマルコ修道院(美術館)→アカデミア美術館→メディチ家礼拝堂→ウフィッツィ美術館→ホテル
午後:ホテル→ブランドストリートうろうろ→ポンテヴェッキオ→ホテル
夕:ホテル→(バス)→ミケランジェロ広場→(バス)→ホテル
朝一に「Firenze Card」という欧州によくある「これさえ持ってればバス等公共交通機関乗り放題+入場料が必要なところが割とタダ」的な観光客向けのパス(72時間EUR50)を購入したのだが,いざそうなると使い倒して元を取ろうと思うのが世の常人の常,といったところか.巡り倒した勢いで,ポン手ヴェッキオの某店にて,数ヶ月前に一目惚れして以来,今回の旅行で購入を狙っていた「あれ」を買ってしまった.
夜はコンシェルジュに予約をとってもらったParioneというリストランテで夕食.分かってはいたが,この時期はあらゆる種類の店が少なからずかれら自身のバカンスで閉まっており,これという店を探すのはなかなか難しいようだ.とはいえ,日本のように正月すらほとんど休まない商売よりはむしろまだ健全さが残っているのかもしれない.
ところで朝夕は長袖必須なくらい涼しいのだが,昼間は太陽の陽射しがまあ強烈で大変!乾燥しているので汗はかかない.日本とは違った意味で危険で典型的なヨーロッパの夏,である.
フィヨルド巡り.
今日は船に乗ってパフィンを見に行くとか人の住まない地帯を海から眺めに行くとかいうオプションもあったのだが,パフィンはもう昨日じゅうぶん近くでたくさん見たし1日ががりの船旅はきついなあというのもあって,半日かけてイーサフィヨルズルから東部一帯のフィヨルド巡りのドライブに出かけた.入り組んだフィヨルド沿いの道をひたすら走るだけ.ごくたまに小さな集落があり,あるいは誰が住むのか目新しい家があり,それもないときには避難小屋が設置されており,っといった感じ.しかし誰も管理していないのかと言えばそうではなく,そこらでのそのそと,道路も我が物顔で歩いている羊たちはみんな耳にタグが装着されている.牧草地の柵の外側にいる羊は野生なのかと思ったらそうでもないらしい.海岸に寝そべっている羊,というのはなかなか新鮮な光景だった.
とある海岸にはアザラシがたくさん打ち上がっていた.ゴマフアザラシと,もうあと1種類だろうか.ナメクジみたいに岩に乗っかってだらだらしていた.遠目だけでは満足できず飛び石伝いに近くまで行こうとして,2度ほどすっ転んでお尻を打った(びっしり生えた海藻が滑るんだよね)が,私自身もお尻ポケットに入れていたiPhoneも大事には至らずよかった.パフィンやアザラシに比べて人間のなんと不器用なことか.
15時頃にイーサフィヨルズルに戻って,街をぐるっと一巡り.小さなメインストリート沿いにある各種ショップやお土産屋さんを覗いたがこれというものはなく,アイスランディックウールのセーターを1枚買ったのみ.大体のものはサイズが大きすぎて着られないのだが,何とかジャストサイズのを1枚見つけることができた.ホテルの目の前にあるパン屋さんで総菜パンを買い,スーパーで買った日本円にして200円ほどのインスタントパスタ(湯に投入して10分茹でればできあがり)と共に夕食.これが素敵においしいきのこのフジッリで,日本でも是非発売して欲しいと思った.頑張れキャンベルスープスウェーデン.
そしてまた19時に寝てしまった.ははは.その頃関西では猛烈な雷雨だったそうだが,知るべくもなく.
相変わらず時差に適応せず,こうなったらずれたままで生活した方がよさそうだという結論に至ったので,2時半起床.初めてちょっとまともにお仕事,というわけで8月末〆切の書籍分担執筆原稿を書き始めた.その一方では査読も溜まりつつあったりするのだが,ちょっと一筋縄で処理できない内容なので,印刷したものをじっくり読んで取りかかりたい.というわけでこちらは旅行終了まで手をつけられなさそうだ.
外の天候は,悪くはないが,曇りがち.うまくすれば朝焼けが見えるかもしれない,と昨日の鑑賞スポットよりさらに高みに登って待ち受けるも,残念ながら空振りに終わった.マッターホルンはほぼ見えているのだが,肝心の「最初に日が射し込み始める頂上付近」が絶え間なく流れてくる雲に覆われていて,昨日のようにピカッと光ってくれない.じんわり,しかし確実にどんどん明るくなってきて,周囲の雲は赤く照らされても,「マッターホルンの朝焼け」にはならないのだ.昨日1回だけでもほぼ完璧なものが見られたのはとてもラッキーだった.
9時過ぎにチェックアウト(といってもゴミをツェルマット地域指定のオレンジ色のゴミ袋に入れてゴミ捨て場に捨てて,鍵を部屋の中に置きっぱなしにして出て行くだけ)して,鉄道で1駅,車を停めているTaschに戻って,再び車で出発.一路グリンデルワルトに向かった.途中では峠道を回避して山を貫通するトンネルを利用する「カートレイン」にも乗車した.素通しの貨物車両に車がずらりと並んで,人はそのまま乗りっぱなしで運ばれる形式だ.車に乗っているのに自走せず運ばれる,というのは今までにない経験でなんともヘンな気分がした.結構狭い(といっても複線なので対向車両はある)トンネルの中をかなりのスピードで走り抜けるので,まるでジェットコースターのような遠心力的揺れも体感できた.10分ほどで山の向こうに到着.ツェルマット側とは異なり,やや雲が多い.
インターラーケン(古き良き観光地の趣たっぷり)の湖畔で昼食の後,13時頃にはグリンデルワルトに到着.こちらもアパートで3泊することになるが,スタイリッシュモダンなツェルマットのそれとは対照的に,今度は山小屋風のつくり.16時チェックインというのが公称だったが,隣のホテルのフロントで尋ねるとすんなりと鍵をくれて,部屋に入ることができた.いまいち天候がよくなくどこに出かけるという雰囲気でもなかったのでありがたかった.山小屋風とはいえ広さは十分にあり,若干作りが古い分部屋が小分けにされていて開放感はないが,そう悪くなさそうだ.駅からも近く,スーパーも至近.早速3日分の買い出しをしてこれからの滞在に備えた.
部屋のバルコニーからは正面にアイガーが望めるそうなのだが,今日は雲がかかっていて見えず.明日以降の楽しみになった.新田次郎の小説の素材になったエピソードをはじめとして,北壁チャレンジの歴史などをあれこれと下調べ.
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