湿布を貼らないで寝ると,翌朝痛む.痛みで起きないだけ,ましになっているが.Yには「しゃべりすぎとちゃうか」と言われた.失礼しちゃうわ!(笑
ご迷惑おかけします。検索機能、もちろんつけたいんですけど、namazuさんたちをインストールするのがなんだかひどくめんどくさい仕事で、途中で投げ出してしまってそのまんまです。その後サーバが変わったのでやるならまたた一からなんですが。。。
朝いつもと同じくらいに起きて掃除洗濯などしたので、昼前にご夫君とチャットして北海道旅行の詳細を詰めた後、昼からは惰眠を貪った。やっぱり湿布を貼って寝ないといかんらしい。
9時にアリさん.その後大学に行ってお仕事(レポート)を全部持ち帰り,自宅作業の予定.何が何でも今日中に採点を終わらせること.
サービスドライバー(とここでも称するらしい)あがりだという兄ちゃんが営業.荷物を見て回ったあげくここの診断は3t×2台とのこと.「4tで積めるというところがありましたか?」と訝っていた.なぜこんなにバラツキがあるのだろう.
営業氏,熱心なのはいいが自社の自慢が長い.「他社さんほど値段は頑張れないが,その分サービスの質が違う」「思い出に残る引越をさせていただきたい」と繰り返しおっしゃる.ぽっと営業にやってきた相手に向かって「一生のお付き合いですから」と言い切れるところが「研修センター」での徹底的教育の行き届いている証拠だろうか.あまりに自慢が長いので「お客様のためにもう少し簡潔にしゃべれるようにしましょうね」と言いたくなったが,やめておいた.
で,見積もり.アイミツを取っており「他社は10万円くらいだ」とハッタリをかましたら(正確には「他社さんはぶっちゃけ10万円くらいですか」と言うから,否定しなかっただけだが),最初から「午後便で」と提案してきた.午前便だといくらになるか差額を聞かせろと言ってもお得意の長広舌をふるって曖昧にごまかす.おそらく午前便の設定では値段的に他社に勝てっこないと判断したからだろう.午後便には「14時に来ると言いつつ来ないという罠」があるのは自明だが… まあ,今回の場合そこまで気にする必要もないかもしれない.
ともあれ儀式のごとく「上司への問い合わせ」を経たあと提示された料金は,実家からのピアノ輸送代金2込みで10(+tax)であった.パンダとネコは午前便だから等価で比較することはできないが,まあよかろうかということで決定.
「一生のお付き合い」を一つ増やしてご満悦な営業氏は,早速段ボール50箱を運んできたのであった.「営業の話が長すぎる」という理由で選択されなかった幸せを喜んでください(見積もりがもうちょっと悪ければこれを根拠にネコにしていたところだ).
悲観的なメールが多いとお嘆きの貴方,阪神性不安を抱えるわれわれ患者にとっては,勝利が何よりも薬になるのです.どれだけ「ちょっとした産みの苦しみ」だとか「こんなことはいくらもある」と言われても,不安は消えはしないのです.そんなわれらに誰がした(笑
というわけで札幌シリーズ,ほんとにススキノではなく札幌ドームで暴れてちょうだいよ.
と申しますか「桧山」という野球選手で,私が真っ先に連想するのは実は進次郎君ではなく,東筑高校で甲子園に出場した「桧山選手」だったのです.確かに進次郎君でないことは分かっていたのですがファーストネームを忘れていた.長年調べようと思いながら忘れていたのですが,今日「江夏の21球」を見ていて近鉄のことをいろいろ調べていたら,当該選手が「桧山泰浩」という名前だったことをとうとう突き止めました.近鉄のドラ1だったのですね.そしてこの方,残念ながらプロ野球では一軍出場機会ゼロなのですが,今では司法書士の資格を取り,それ関連の予備校の講師をしておられるんだそうです.さすが東筑,頭もよかったのですね.
昨日はまた眠くて眠くて21時半に寝てしまった.ぐがー.そして5時半起床.昇ったばかりの朝日が美しい.今日も快晴だ.…と思ったがちょっと黒い雲が出てきて暗くなってきた.あらら.
今日は14時過ぎのフライトなので,11時頃までホテル周辺でのんびりしてから空港に向かう予定.その後はロンドン経由で成田〜伊丹へ.
さっきから繰り返し,奈良で土砂崩れがあったが死者やけが人はなかった,というニュースを流しているのだが,これはこないだの台風での大台ヶ原辺りの話だろうか.確か私たちが成田にいた時も似たような映像が流れていたが,なぜ今頃?
荷造り完了後,朝のヘルシンキ市街を港までぶらつく.市場や屋台をうろうろする.フィンランド産のキャビアがあるという話だったのだが,市場でキャビアを売っていた店は1軒だけでしかも「RUSSIA」と書いてあったのでパス(ちなみに39ユーロ).レッドキャビアと称してイクラは売られていた.屋台は野菜が中心で,特に昨日食べたサヤエンドウが山盛り山積み.タマネギのにおいが充満していて臭い.端っこの方にはおみやげ系のものの屋台も出ていたのだが,ハンドメイドの…あれはなんていうのだろう,とにかく釉薬をかけて焼く系の器や壁掛けの店が出ていた.女性が店主で本人が作ったという.かわいい犬の壁掛けと黒地に線画で牛模様のカフェオレボウルを購入.後者は飯椀にするつもりだ.
名残惜しいがフィンランドを離れる時間になった.ホテル・カンプは居心地がよくてとても気に入った.しかも税サ込で2泊400ユーロなんて,安い.安すぎる! よって,来年からは夏休みの1ヶ月くらいここに長期滞在したい.したい,したいよう.
11時にホテルをチェックアウトして,荷物をガラガラ引きずって中央駅そばのバスターミナルまで歩き,ちょうど来ていたエアポートバスに乗車.2日前は40分かかった道を25分ほどで空港に到着した.国際線ターミナルは,ヒースローのそれとは違って,昼前でも閑散としていた.一般客よりむしろ目についたのは Finland Deployment Force の面々.これってどこに所属する軍人になるんだろう? チェックイン,手荷物検査を経てターミナル内へ.軽く昼食をとってから,免税店をうろうろ.2日前にさんざん探索したところだったが,ヘルシンキ市内でいろんな店を見た後で眺めるとまた感じが違うものだ.とは言ってももう買いたいものはそうあるわけではないので,ご夫君がコーヒーの粉(街中でやたらと見かけたRobert's Coffeeというのを試してみることにしたのだ)買ったりしたのみ.免税スタンプはイギリスを出るときに押してもらうことを確認して,パスポートコントロールでは今度は何も質問されることもなく(出国の時はそんなものだ),搭乗口へ.イギリスはシェンゲン条約に加盟していないので,EU外の諸国(旧ソ連邦系の国や,日本,アジア,アメリカなど)へのフライトと同居となる.どうやらサンクトペテルスブルグから来たらしい日本のツアー客がいたが,彼らはさてどこへ乗り継ぐのだろうか.
ヒースローには定刻よりやや早く到着.着陸直前はロンドン市街の真上を通ったので,ちょっとした観光気分が味わえてラッキーだった(逆方向からの着陸でもウィンザー城とか見えて楽しいのだが).タミ1はオリンピック・エアーのカウンターに長い行列ができていたりして,やはりアテネに向かう人は多そうだ.タミ1からタミ3へは,バスに乗せられて移動.免税書類にスタンプを押してもらうCustum Officeは固く固く鍵が閉まっていて「電話で係員を呼べ」とか言われる.しかし内線電話があるわけでもなし,携帯で呼んだっていいんだろうけど,たかだか2000円程度のことでまあいいか,とあきらめる.多分欧州連合もそれを狙ってるんだと思う.高いんだよ,税金.
タミ3のJALカウンターはYとそれ以外が分かれていなくて行列していたが,ラウンジでチェックインできることが分かったのでそのまま移動.前回ヒースローではあんなに探してもよく分からなかったラウンジは,今度はすぐ見つかった.つまりあまり遠くに行きすぎないうちに探せばよかったのだな.インターネットのホットスポットは1時間5ポンド,3時間10ポンド.ご夫君が後者にしなさいというのでそうしてみました.
3時間ほど暇なので,1時間ほどラウンジで過ごしてから免税店に行こうかと思って外に出たら,不可逆だったorz まあそれならそれでいいのだが,傍目から見て分かるくらいご夫君ががっかりしていた.買い物がしたいわけではなく,退屈しのぎがないかららしい.かくしてビールを飲みまくる彼であった.
ソファに座っていると,時間があっても原稿書いたりする気になれない.ビジネスコーナーがあるのも気づかなかったし(大体私は視線上方にあるサインは見逃してしまう).いろいろ酒が揃っているので,M君なら泥酔しちゃうかも.どうせ搭乗したらすぐ食べさせられ飲まされるのだから「ですかい」シリーズ制覇とかしても空しいし.
さっきKIX行きのフライトの搭乗案内があったので,あと1時間弱の我慢だ.次のアクセスは約半日後の成田ラウンジの予定.
We arrived at Lake Myvatn. Yes, we are fine. But no Internet connection with Japanese character. We will go to pseudo "blue lagoon" from now on.
↑は現地時間8/10夕にホテルフロント前のPCから書き込んだもの
です.
5時前に起床.今日も天気は曇りがちだ.まず昨日の日記を書く.ランチ用のご飯を炊いた後,6時半頃からホテルの周辺をお散歩してみた.やはり蚊が多い.でもそういえば昨日は一晩中小窓を開けていたのに部屋の中にはまったく入ってこなかった.このことからもこの蚊が人の血を求めていないことが分かる.部屋のすぐ前あたりに,まさにマグマが吹き出していたような,地面が盛り上がった裂け目があったので,その上に登ってみたりする.マクロレンズで小さな花を撮る練習をしたりするが,やっぱり蚊がたかってくるのであまり長い時間じっとはしていられなかった.
部屋に戻ってランチ用おにぎり(今日はかつお+のり)を製作した後,朝食へ.今日は広い食堂にわさわさと人がいたので緊張する必要はなかった.昨日のメニューにゆで卵,フルーツが加わったちょっと豪華版.周囲はやや年配めの夫婦連れやグループばかりで,みなガタイが一様に大きいので,北欧系の人ではないかと思った.アジア人はまったくおらず,若めの人間もいない.後者については,多分ここが四つ星ホテルだからではないか(アイスランド国内のホテルランキングは四つ星が最高らしい),とはご夫君の推測だった.
9時前には,周囲の部屋はみな出払って掃除中.おそらくツアー客なのだろう.われわれもチェックアウトを済ませて出発だ.今日はミヴァートン湖からやや北東にある国立公園地帯をまわる予定である.火山地帯の真ん中にぽっかりできた平原を走り抜けていくと,道端の所々にケルンが積んである.旅人の手によるものだろうが,等間隔にいくつかずらりと並んでいたりもするのが面白い.歩いたり自転車だったりする旅人(前者はさすがに今はほとんど見ない)がこういう造作をしたくなるのは世界共通のことのなのだろう.
Dettifossはこちら,という標識のところで左折し,火山地帯に入り込んでいく.今日のメインとなる目的地であり,欧州最大の大瀑布があるところだ.ここからは「4WD以外通行禁止」という看板が立っていて,アスファルト舗装されていた道もダートになる.Dettifossは,東西両サイドからアプローチすることができるのだが,今から行くのはそのうち西側で,一般的な車では入り込めないから,たいていの個人客やツアーはこちらには来られない,という方である.羊の家族がそこここに点在するダートの道を,ぐいぐいと進んでいく.急勾配や急カーブが続くにもかかわらず道幅がぐっと狭いところもあり,地面はでこぼこだから,確かに一般車ではとても登れたものではないだろう.しかし4WDでちょっと車高は高いものの,普通の観光バス型のバスも登っていっていたのは驚きだった.滝に近づくにつれ,周囲の風景はまた月面世界さながらに荒涼としたものになっていく.ところどころ雨のぱらつくところはあったが,天気はおおむね良好のうちに,駐車場に到着した.既に数台の先客があった.
駐車場からは徒歩10分ほど歩いて,Dettifossに到着.もう大瀑布も3つ目だが,ここの規模はでかい.幅も広いが落差が大きい.さすがに世界最大の氷河から流れてくる世界最大の滝である.ロンプラによれば「東西両サイド,どちらからの眺めがよりよいかという点は意見が分かれるところだが,西に行った人はたいがいそちらに軍配を上げる場合が多い」とのこと.多分に認知的不協和が絡んでいるような気もするが,滝の全景が分かるからだという.対岸を見ると確かにそういった点では西側の方がよさそうだ.
少しでも滝に近づこうとロープを乗り越えて際のところに近づく人たちを後目に(ああいうルール違反をやるのも洋の東西を問わないらしい)少し高台に登って,滝から落ちた水が霧となってもうもうとしているような地帯に近づいてみた.足元は水が浮き,ぬかるんでいる.霧の中に入ってみると…それは霧ではなく,大雨だった(笑 考えてみれば滝の至近なのだから当然といえば当然か.二人して一気にずぶぬれ.まあ,世界最大の滝に打たれて修行するのも,貴重な経験だったということにしよう.
少し上流にあるSellfoss(こちらも幅はかなり広い)は遠く眺めるだけにして,さらに北へ向かう.これが実は今までで最大の難所であった.先ほどまでよりもさらにでこぼこした道に,霧と雨のコンボである.元々雨が降っていたらしく,路面がぬかるんでいて,ところどころに道幅いっぱいの大きな水たまりがある.水たまりというよりも,泥たまりだ.愛車(笑)をなるべく汚したくないご夫君は,最初は泥たまりに来るとなるべく速度を落としてゆるゆると越えていたが,そうしているといちいち加速をしなければならず,ペースが落ちることこの上ない.そのうちあきらめがついて,ある程度避けることを意識しながらも盛大に泥しぶきをあげて越えていくようになったが,そうすると今度は自分で跳ね上げた泥をフロントガラスに浴びることもあり,一瞬視界が遮られる.泥たまりを越える時は先にワイパーの速度を上げて突っ込むことになり,それはそれで大変だ.泥たまりだけを必死に回避しようとすれば,大きな石ころが道の真ん中に転がっていたりもする.つまりどうやっても認知&運動処理を節約することはできない,大変な道のりなのであった.iPodとスピーカーも当然ダッシュボードに載せてはおられず,グローブボックスに収納しなければならなかった.
そんな道を50キロほども行き,1時間ちょっとで難関を突破.霧が晴れて平野が見えてくると,気分的にもほっとする.しかしあれで時速は50キロ程度で走れるのだから4WDはすごい.ちなみに行き交う4WDはほとんどがレンタカーだとは思うが,そのほとんどが日本車である.私たちと同じRAV4をはじめとして,もう少し大きいものならランクル,あるいは日産テラノやスズキジムニーなどが主だ.日本にはあんなオフロードほとんどないのに,すごいな,日本.ちなみに普通の乗用車も日本車が一番多く,多分レンタカーで一番安いランクだと思われるヴィッツ(こちらではYARISという名前らしい)がたくさん走っている.
次に車を停めたのはAsbyrgiという観光スポット.ここは元々は氷河から流れ落ちる巨大な滝があったところだそうだが,その後水が枯れ,断崖絶壁だけが残ったところらしい.断崖絶壁に囲まれた地帯は風から守られ,アイスランドではほぼ唯一だとされる森ができたということだ.確かに,普段見慣れている森と比べると非常に頼りない規模とサイズだが,細く背丈の低めな白樺などが生い茂っている.その間にトレイルが整備されていて,断崖絶壁の間近まで近づくことができた.大きな叫び声をあげたり口笛を吹いたりすると,絶壁に反響してこだまがよく聞こえる.先ほどのDettifossも,水がなければこういう雰囲気のところになるのだろう.
断崖絶壁の中腹や頂上にも登ることができたのだが,とりあえずやめておいて,森の中程にあるベンチでランチにした.目を上げると断崖絶壁,周囲は森,そんな中でおにぎりをぱくついて麦茶を飲むのは,いかにも日本的ハイキングの姿ではありませんか.マクロレンズで小さな植物を撮る練習をしながら駐車場にぶらぶらと戻る.なかなかピントを合わせるコツが分からず難しい.
Asbyrgiで折り返す形で南下し,今度はDettifossの東側に向かった.こちらの道は,確かにダートではあるのだが,西側よりも遙かにアプローチしやすく,一般車でも通行可となっている.先ほどの道に慣れていると,子供だまし程度のものだ.といっても調子に乗ると事故の元なので,スピードは出しつつも慎重に走る.
さほど時間もかからずまたDettifoss付近まで到着したが,Dettifossの手前にHafragilsfossという滝があったので,そちらにも立ち寄ってみた.ここは噴火で溶岩が飛び散ったそのままの赤い大地が印象的だ.遠目からしか眺められなかったが,火山の噴火後にできた深い峡谷の中にある滝というのも,また印象深い眺めだった.
Hafragilsfossから2.7キロでDettifoss @ Eastern Bank到着.駐車場も広く,来ている車も半分以上が一般車で,当然観光客も多い.
5分ほど道を下ると滝のそばに出た.こちらはほぼ真横から滝を眺めるような角度になる.全容を眺めることはできないが,しかしものすごーく接近できる.滝の中にざぶざぶ入って行こうと思えば私たちをとどめるものは何もない.こんなに危険なところなのにロープも何も張られていないのだ.滝壺も,滝壺に流れ落ちる直前の濁流も,最接近して眺められるという点では,こちらのサイドも非常に面白いところだと思った.滝壺に近いあたりなど,土曜ワイド劇場なら犯人が告白を始めそうなところだし,濁流のそばなど,恨みに思う人をだまくらかして連れてきて殺人をしようと思えばちょっと突っついてバランスを崩させてやるだけで容易だろう.一歩足を踏み出せばそこには確実に死が待っている.ただの観光地なのにそんな何とも名状しがたい気持ち悪さが心を支配するようなところだった.
今日の観光はほぼ終了.一路今日の宿泊地であるアイスランド東部のフィヨルド地帯SEYDISFJORDUR(正確な綴りではない)に向かった.200キロほどと結構距離はあるのだが,特に立ち寄れそうなところもないのでひたすら走る.ひたすら走る分には時速は120キロ程度までは軽く出るし,信号などまったくないので,あまり時間はかからない.200キロも走ると,天気も風景もくるくると変わる.晴れたかと思えば雨が降り,先般噴火したそのまんま,といったようなどちらかといえばのっぺりした火山地帯を縫って走り抜けていくことがあるかと思えば,ごつごつした岩の間から滝が流れ落ちている地帯もあれば,のんびりと羊の家族が草をはんでいる農業地帯もある.風景の変化は楽しいが,既にどこでどういう風景だったのかはよく覚えていない(笑
手前の街Egilsstadir(正確な綴りでは…)で給油した後,一山越えて30キロ弱でSEYDISFJORDUR,だったのだがこの道もすごかった.多分晴れていれば何のことはない峠道なのだが,猛烈な霧.Dense fogここに極まれり,だ.道路脇のポールも,すぐ前のものも見えないほどの状況が10分ほど続いた.少し高低差があるだけでこれだけ違うとは,本当にダイナミックな気候である.
霧が晴れ,SEYDISFJORDURに到着.フィヨルドに囲まれた港町だが,さっきの霧があってフィヨルドの全景を眺めることはできない.街に入ってすぐのところに宿泊するHotel Aldanがあった.ただしそれは本館で,こちらにはレセプションと共同バスの部屋があるだけで,私たちが泊まるバス付きの部屋があるのは少し離れた新しい建物だった.レセプションで簡単なチェックインの手続きを済ませ,鍵をもらって自分たちで行くというシステムだ.新しい建物といってもつくりは本館とほぼ同じようなもので,元々は銀行だった1887建築の建物をリノベーションして使っているものらしい.リノベーションしたのはごくごく最近のことのようで,内部は新しい建物の匂いがする.床はフローリング,アンティークの家具が配された屋根裏風の部屋だった.ここもそうだが,アイスランドのベッドメイキングは独特だ.デュベスタイルではあるが,中の掛け布団を縦にたたんで,真ん中にこんもり盛り上げるようにしてある.そしてどこもベッドそのものが細長い.背が高く痩せた人が多いからだろうか? でも長さがそれほど長いということでもないようだ.面白い.部屋にはインターネットのコンセントはあるが,つないでも何も起こらなかった.
例の試合も気になるので,ロンプラ情報でインターネットが使えるというカフェに出かける.街の規模が小さいのですぐそこだ.ちょっとしたカフェの奥まったところにPCが置いてあって,30分150Ikr,お一人様1時間まで限定でインターネットが使えるようになっていた.この料金はなかなかに格安だろう.ちなみにブラウザはFireFoxだった.真っ先にヤフースポーツをチェック.なんとか勝ってくれたらしい.初戦をひどい負け方で落とした割に,結果的には2勝1敗で済んだのだからよしとしよう.ほっと安心して,ホテルに戻る.道すがら眺めていると,本当に小さな港町だ.元々は水産加工場があって栄えていたようだが,それが2003年に閉鎖されてからは,主に観光業で儲けているらしい.欧州からのSmyrilラインが停泊するから,定期的に観光客は見込めるそうだ.
帰ってからは夕食製作に励む.今日のメニューはスパゲッティチキンクリームソース(もちろんレトルト),ひじきの煮物(戻して添付のつゆで煮るだけ),ミニトマトとゆでさやえんどう(どちらもレイキャビクで買ったもの),みそ汁(レトルト)である.どうも電熱調理器の片方の調子が悪くなってきたらしく,スパゲティのゆでが甘かった.なんとかソースを絡めてごまかす.他はおいしくいただいた.
「旅サラダ」のアイスランド編のDVDを見て,これまでに訪問したところの復習と,明日の氷河情報を確認してから,またしても21時頃に就寝.
I have just arrived at CDR and wait for a connection flight to Munich. Here in Europe, it is so cool!! It is not summer ;p
先ほどのエントリーはラウンジ内のおフランス仕様Macからだったのだが、キー配列が全然違うので打ちにくいことこの上なかった。ご夫君が大枚10Euroを投資してネット接続したので、そちらに切り替えた。CDR到着は予定より30分も早く午前4時前。ミュンヘン行きのフライトは7時なので、それまでは到着ラウンジでまったりと休憩することができる。ここのラウンジはシャワーもあるので(私は浴びないけど)便利です。
なんでもロンドンその他イギリスの機内持ち込み手荷物が著しく制限されたようで。JALのウェブサイトで見る限りでは身に付けられる最低限のもの以外は何も持って入るなという命令の印象。このラウンジに入るためにセキュリティチェックを受けたのだが、その時にもロンドンとマンチェスターにつなぐ人たちは列の外に隔離されていた。最初はてっきり乗り継ぎ時間があまりないので先に通すのかと思ったら放置状態。どうやら後で厳格に調べられちゃうらしい。その他の国は今のところ特に問題なさそう。
摂氏15度だそうです。まあ、未明ですけど…
ターミナル2Fから2Dに移動して次はミュンヘンに移動.所要時間はたったの1時間半だから当然機材もおんぼろ737である.一応こちらもアッパークラスのチケットを取っていたので,一体どんな席だろうかと思って乗り込んだら(ただし,もとより期待はしていないが),3列並びのシートの真ん中を塞いだだけのシロモノで,当然前後も含めてシートピッチは普通席とほとんど似たようなものだった(多分).分かっていてもちょっとがっかり.朝食サービスはあった.
ミュンヘンで車を借りてザルツブルグへ.オートマを予約していったのにやっぱり「チェコに行ける車でオートマはない」と言われてルノーのメガーヌ・シーニックというマニュアル車を押しつけられた.というわけで今回も運転はご夫君オンリー.せっかく国際免許を更新したのに…
ザルツブルグまでは高速で180キロほど.途中でルードヴィヒ2世の城があるというキームゼーという湖で遊覧船に乗ってヘレンキームゼー城を眺めに行ったりしながら,15時前に到着.
このキームゼー,ミシュランの道路地図を眺めていたら「眺望あり」マークがついていたので,高速のそばだし行ってみるか,と出かけた(正確に言えばYからもらった「地球の歩き方ドイツ版2000」に1ページだけ記述もあった)だけなのだが,実はかなり地元では有名なところだったようだ.湖自体はドイツ一広いそうだし,小島にあるヘレンキームゼー城はルードヴィヒ2世が作った3つの城の1つ(残り2つはノイシュヴァンシュタイン城とリンダーホーフ城)だし,彼が亡くなった(自殺?他殺?)のもこの湖.というわけ.城はヴェルサイユ宮殿を模しているそうだ.私たちの旅行はモーツァルトの足跡を辿るものだったのと同時に,狂王ルードヴィヒ2世の足跡をも辿っていたのである.どちらもまったく偶然に.
でも6時前に起きて読書会のコメントを書くわ,飛行機の中でやる仕事も決まっているわで,もうあれれれって感じですよ(笑
今回は珍しく余裕を持って,予定より1本早い8:05のリムジンバスに乗ったら,ニシキタの時点であとは補助席しかないくらいの満席.JR西宮→阪神西宮では当然積み残しが出たので臨時便が出たようだ.空港も,空港カウンターはまだそれほど混んではいなかったが,両替は長蛇の列だった.今回ややユーロのレートが良くなっているのは好材料だが,珍しくT/Cを買わなければならない(ユーロ圏内に踏み込んだ時点で即換金するため)状況である.
JAL便搭乗.機内食2食目のオンデマンドを初体験.私は「きつねうどん」と「野菜サラダ」,ご夫君は「とんこつラーメン」と「玄米塩おにぎり」をオーダーしたが,どちらもまずまずのお味だった.きつねうどんは,おあげさんが今ひとつなのが残念.きつねうどんの出汁が関西風かどうかを確認しようとおもってCAを呼んだら,思いっきり若いイギリス人男性が来てしまい,
ええと,とっても難しい質問をしますけどね.
と言う羽目になった.ま,結果的にはちゃんとそれなりに薄い色の上品なお出汁でした.
タミ3→タミ1を移動して,今日はあまり行列もなくすんなりBAラウンジへ.めっちゃ広くて開放的な空間で,フードとドリンクもとっても充実.でもイギリスだからおいしくない(笑 イングランド人(推定)がラグビーのW杯を見て盛り上がっている.JLもマイル乱発してただでさえラウンジ入室有資格者が増えているのだから,これくらい頑張って少なくとも面積は増やしてくれよ.ちなみにヒースローにはこの手のBAラウンジが2つなどというレベルではなく複数あるようだ.
これからミュンヘンに移動.仕事は「一応」片を付けた.
とっても眠すぎる2時間弱のフライトでミュンヘン到着.すぐ荷物もピックアップ(片方は鍵がぶっ壊れていた)して,歩いてすぐのHotel Kempinskiへ.去年帰りのミュンヘン−パリ便が欠航して泊まらされたところなので,勝手知ったるとばかりにずんずん歩いてチェックインできた.そして「部屋の入口付近なら空港の無線LANを拾う(と,日本のHotSpotのアカウントで接続できる」ことも知っているので,早速こうして日記を更新.
でももう寝ます.ぐぅ.
昨日は夕食後にカリフォルニアのメルローの赤とブリーチーズでワイン宴会を敢行。こっちにまで来てやらかしたくないので量は控えめに。どっちもセーフウェイで適当にえいやーと買ったものだがなかなかにおいしかった。セーフウェイのワインの品揃えは、少なくとも数に関してはなかなかだ。
日本は大雨で大変なことになっているようだが、こちらはまったく雨が降らない(島の中で降っている地域はあるが、宿泊地近辺では、という意味だ)。Feliciaというハリケーンが接近してきていて、一時期カテゴリー4まで成長してたために、ロコたちはかなりエキサイトしていたようなのだが、みるみるうちに弱体化してしまった。それでも今夜からは多少の影響を受けるとの予報である。
宿泊しているのはこちら.アムステルダム中心地にこれといって興味がない私たちが,主に「夜多少遅くてもコンセルトヘボウから危なくない道を歩いて帰れる」ことを条件に選んだアパートメントである.レセプショニストと顔を合わせることなく,呼び鈴を押して「予約した何某である」と名乗って玄関扉の鍵を開けてもらい,中に入るとカードキーの入った封筒がソファの上にぽいと置かれていた.帰りも勝手に出て行っていいらしい.気楽である.
_ 「デルフトの眺望」を眺望す
今日は車で1時間弱のハーグ(デンハーグ)に出かけた.オランダの政府主要機関や王宮は首都アムステルダムではなくこのハーグにあるそうだ.まずはマウリッツハイス美術館でルーベンスやファンダイク,それにフェルメールといったオランダの代表的画家たちの絵を鑑賞.大変寡作なフェルメールの作品が3点ある(アムステルダムの国立美術館には4点)というのがこの美術館の売りなのだそうだが,ちょうど企画展をやっていて2点増えていた.次に歩いて数分のこれまたオランダを代表する芸術家であるエッシャーの美術館を見学.こちらは「だまし絵」満載で「人間の目って何を見ているんだろうねえ」というのを実感.
鑑賞したフェルメールの5つの作品のうち二人揃ってもっとも気に入ったのが「デルフトの眺望」だったので,ついでに彼の故郷でもある現地に出かけてみた.ハーグからは車でほんの10分ほどだ.デルフトと言えば陶器が有名なので,中央広場に面したお土産物屋もちょっと覗く.気に入った皿を2枚購入.その後でなんとかはびーが似たような構図が撮れそうな場所を探し当てた.勇んで写真を撮ってはみたものの,風景としてはとてもいいのだが,なんとなく,いや,はっきりフェルメールの絵とは違う.経年変化というだけではなく,おそらくあれはフェルメールの心象風景なのだろう,と思うことにした.
とりあえず,都市部は大変だ.一方通行の嵐だし,路面電車との共存もかなり多い.さらにもっと大変なのは自転車との共存.オランダは平地なのでとても自転車人口が多いそうなのだが,彼らの我が物顔と言ったらちょっとすごい.自転車専用車線が整備されているところはまだよいが,彼らは基本的に車道を走る(そういや日本も法律上はそうなんだっけ)し,まったく車に対して互角の乗り物として存在するようである.その感覚に慣れるのは,なかなか難しい.
アムステルダムでのほとんど唯一のイベントがこれ.夏休みたけなわのこの時期なのでロイヤルコンセルトヘボウを聴くのは遠い夢のまた夢だったが,ちょうどロッテルダム・フィルのコンサートがあったのでこれ幸いとオンラインでチケットを取った.
Rotterdams Philharmonisch Orkest Ludovic Morlot dirigent Jean-Guihen Queyras cello
MENDELSSOHN The Fair Melusine Overture SCHUMANN Symphony No 4 (revised version) DVORAK Cello Concerto (Jean-Guihen Queyras, vc)
あの「舞台後方最上階から駆け下りてくる指揮者」が生で見られただけでも本望だが,噂には常々聞いていたが音響が恐ろしく良いのには驚かされた.前方5列目の舞台向かって左端という決して最上ではない席に座っていても,オケ全体の音が一つにまとまってしかもつややかに鳴り響いてくる,という感触.ひょっとすると,鳴らしている方は自分たちがものすごく名演奏をしていると錯覚するのではないだろうか.ちょうど時差の関係で日本なら起床直前の時間帯だったので,途中で睡魔が何度も襲ってきたのには参ったが,それでも聴くべきところはちゃんと聴いた,ということにしておこう.指揮者とソリストは寡聞にしてどちらも知らなかったのだが,前者は東フィルに客演したことがあり,後者も来日経験があるそうで,これから注目しようと思う.
朝は原爆ドームあたりに出かけようかと思ったが,じりじりと照りつける陽射しを忌避して部屋で仕事.卒論生のオンライン調査項目を業者が確認・修正してきたものをチェックしたり,推薦状を書いたり,あれこれやるべきことの山はあるので,とりあえず全部崩してからチェックアウト→会場へ.
私たちは日付が変わる頃にホテルに引き揚げたが,コアな(そして東広島に帰らなくてよい)連中は2時3時までグダグダしていたようなので,10時開始とはいえなんとなくぼわんとしたムードで始まった研究会だが,報告が始まればみんなそこそこ起きていて,昨日と変わらず様々に議論.昼は近所の店でお好み焼きorつけ麺のランチ.私はお好み焼きをいただいたが,快活な店主の見事な手さばきで,おいしいスタンダードな広島風お好み焼きを食べることができた.あれは関西風で言うと,お好み焼きというよりは,焼きそばだな.
15時過ぎに研究会は終了.高槻M君とタクシーで広島駅に戻り,16時ののぞみで帰阪.次回は10月開催予定だが,私がオーガナイズ役+発表者の一人である.
18時前に帰宅して荷造りと夕食を済ませた後,一昨日同期し忘れたDropBoxのファイルをクラウドに移動させるために19時過ぎから大学へ.単にPCの電源をつけて〜切って〜だけではあまりにも空しいので,研究会出張の書類を処理したり,英語原稿の著作権譲渡承諾書を作って送ったり(これがPDFのe-signを要求するもので酷く手がかかった.結局日本語版で作ったものは先方でうまく確認できないようで,印刷してサインしてスキャンして添付メイルで送った.苦労した意味は!?).予定では1時間で終わるつもりが1時間半かかったが,審査仕事もできた分は片付けられ,ファイルももちろん無事同期したことを確認して,帰宅.
アイスランドで過ごす最初の夜.外は雨.さすがに買い物に出る気力はなく(ただしはびーは近くのスーパーに出かけてビールと水,それにポテチを買ってきた),パスタを茹でてたらこソースをかけたものが晩ご飯.私はサッカーの日韓戦が始まった頃には寝てしまった.そして予想通り深夜1時過ぎに一旦起床.1時間ほどあれこれ作業をした後,再び就寝.レイキャビク最大(つまりアイスランドでもっとも)繁華街がすぐそばにあるので,深夜に至っても少々騒がしかった.こんなに雨で寒いのに元気なものだ.次に目覚めると6時過ぎで,なんとかこちらの常識にかかる時間帯であった.
早速ごはんを炊いて,朝ご飯とお弁当作り.キッチンは電磁調理器×2と流しというミニマムな構成で,調理器具やお皿も必要最小限といったところ.
朝ご飯はふりかけごはんと味噌汁,お昼のおにぎり弁当を作ってから9時にアパートを出発し,まずはゴールデンサークルへ.ゴールデンサークルは,おそらくブルーラグーンと共にもっともアイスランドで有名な観光スポットで,レイキャビクからほんの1時間ちょいの距離しかないのに,地球の裂け目(ギャウ)やら滝やら間欠泉やら,おもしろげな自然がぎゅっと詰まった地帯のことをいう.前回はそれらすべてを回ってから内陸地に向かったわれわれだが,今年は逆方向の北西に進路を取るので,その前にちょっとだけ前回お気に入りだった間欠泉だけを見に行った.郊外に出るとすぐに風景は一変し,一面に広がる原野には馬や羊,それに牛が点在している.明らかに柵の中にいるのは牧場に飼われているものたちなのだろうが,柵の外や道路際にいるのは果たして飼われているのか野生なのか.まあ人より動物の方が多いことには間違いがない.
ギャウのあるあたりを通過して,2時間弱で間欠泉(ゲイシール)に到着.残念ながらずっと雨が降っているので,ゴアテックスのレインコート上下を着込んで歩く.ほとんどの人は似たような風体で,傘をさしている人は稀である.徒歩数分で,前回一番気に入った,数分に一度湯を噴き上げる間欠泉に到着.今回も元気にモカっと(湯を噴き上げる直前の間欠泉の様を形容したあさりんオリジナル語)していた.風が強いとレインコートを着ていてもすぐにびしょぬれになるので,風邪を引かないように気をつけないといけない.
一路レイキャビクにもどり,ショッピングセンターのスーパーと酒屋で当座の買い出し(食料,水,アルコール)をしてから目的地へ向かう.アイスランドではアルコール度数の低い「ライトビール」以外は酒屋に行かないと売っておらず,酒屋は平日の夕方までしか開いていない.ビールやワインの他に,アイスランド産のウォッカを一瓶.
途中でちょっと眺めの良いところに車を停めてランチ.おにぎりに加えてスーパーで量り売りをしていたおかずもちょっとだけ.その後は6キロ超にわたる海底トンネルを抜けたりしながら一路1号線を北上し,途中から60号線に入って目的地へ.前回は移動初日から内陸部のダートロードに突っ込んでめくるめく大スペクタクルを味わったが,今回はずっと舗装道路で大変走りよい.が,目的地と思った(目的地の住所としてホテル予約サイトに書かれていた)街をぐるっとくまなく一周しても目指すホテルがない,という問題が発生.仕方なく街を外れたその先まで車を走らせること10分少々,10数キロも離れて大丈夫なのか,と思ったところでホテルここにあり,という看板が現れた.どんだけ離れてんねん.確かに間に街はなかったけれども…
ホテルはどうやら以前は学校だったところを転用したらしいところ(館内に卒業記念写真らしいものがたくさん貼り出されていた)で,このあたりでは唯一の規模の大きな宿泊施設らしい.部屋はあっさりとした内装で広さはそこそこといったところ.夕飯はスーパーで買ったラビオリを茹でて,持参のソースをかけて食べた.ネットがうまく繋がらず,やることがなくてしかも眠い.というわけで夕飯を食べてすぐに寝てしまったw
早朝、朝焼けを狙うも一面の曇り空につき、マッターホルンは見事にお隠れ。
天気が悪いのかぁ、どうする?と思ったのだが、雲を突き抜け天上界に行けばいいのでは?ということになった。世の中進歩したもので3000m越えの展望台からのライブカメラ映像がリアルタイムでチェックできるので、それによると「いけそう」だったのである。
マッターホルンをはじめアルプス連峰を眺めることができる展望台は3つあって、それぞれ特徴が違うのだが、まずは一番高い=雲を突き抜けられそうなクライン・マッターホルン展望台に出かけてみることにした。標高3883mだから富士山より高い。だが、ツェルマットの町外れからロープウェイが出ていて、いくつか乗り継ぐものの数十分で到着してしまうのだからすごい話だ。そして携帯の電波も余裕で届く。2900mほどの中間駅で雲を抜け、まるで雲海の中に浮かぶかのよう。乗客はたくさんいたがほとんどはスキーヤーかスノーボーダーで、ただの観光客は数えるほどだった。行ってみてわかったのだがガイドブックに説明のある「観光客向け」施設や展望台はすべてクローズしていたのである。でもまあ、それでも十分に景色は満喫できたのだからよいだろう。ちなみに、ここから見えるマッターホルンはツェルマットから見る面の裏側にあたるのだが、正直美しさについてはかなり劣る。どちらかというとモンテローザやブライトホルンなど、すっぽり雪をかぶった山々の方が美しかった。
ロープウェーを乗り継いでツェルマットまで降り、鉄道駅そばまで歩いて今度はゴルナーグラート展望台に向かうことにした。こちらの標高は3130m。今度は登山鉄道を利用する。やはり下界からだとマッターホルンは雲に隠れていたのだが、高度が上がるにつれてそれが晴れ、やはりクリアな条件で山々を愛でることができた。パノラマ写真は終点のゴルナーグラート展望台から撮ったもの。帰りはそこから線路沿いを2駅分、5.5キロほど下るハイキングをした。歩き始めの付近は森林限界を越えているのでまったく緑のないガレ場だが、徐々に植物があらわれ始め、高山植物も派手さはないが色とりどりで美しい。途中の湖に周囲の風景が映り込んで「逆さマッターホルン」が楽しめたのもよかた。
満員電車とまではいかないがかなり混雑した登山電車でツェルマットまで降りたら、ちょうど年に1度のフォルクローレフェスティバルのパレードが駅前を出発するところだった。いろんな時代の民族衣装らしきもので着飾った子どもからおじいさんおばあさんまでいろいろ。街が華やいだ感じになっていてよかった。午後はゆったり休息しつつ、教会そばの墓地(遭難した登山家の墓などもたくさんあった)を探索したり、祭り参加者たちによるアルプホルンの演奏を聴いたり、散歩も楽しんだ。
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