君のことだよ.はっはっは.
いや,無理にとは言いませんけど,みんなでパカンパカンと球を打つのも結構楽しいですよ.運動できるかっこさえしてくれれば,ラケットも余分にあるし,うまい人ばっかりってこともないし(テニス歴0分から始めた人もいるよ).
まだ痛いことは痛い(原発部位は首から下10センチくらいの背骨のちょっと左側)のだが,寝ている間に痛くて目が覚めることはなくなった.嚥下時の胃あたりの痛みもなくなった.だいぶいいぞ.
それ以外にも今週はさまざま煮詰まっていたので,何も考えず一日ごろごろしたらかなりのリフレッシュになった.煮詰まっていたことどもは当然何も前に進まなかったが,煮詰まったこころで眺めるのとは少し違った展開が生まれることに期待しよう.
8/25は札幌競馬場に行くのをやめて,岩見沢競馬場に行くというのはどうだろう.ちょっと,楽しそうかもだぞ.さすがに開催があるかどうかは確かめたワン.
他のメモ.初日はレンタカーを借りて,とりあえず社台SSに行き,その後洞爺方面に行く.大雪は天候次第で23日/24日可変にする.もう一日は静内・浦河方面で適当に牧場をまわる.24日夜は札幌でばんごはん.と,思っていたんだけど,小樽の「夢二亭」というのはどう思うかね,師匠.伝手があるんで,多少勉強してくれると思うんだが.
calcio2002.com からの転載
モーデナ、ホーム席年間シート完売
今シーズン、セリエAに昇格したモデナの年間シートが売れ続け、 6日には最後の56席が完れきった。これでスタジアムのモーデナ側の 12147席は完売したことになる。つまり、モーデナのホームの試合では、 アウェー用に設けられた約3600席のチケットしか当日入手できない ということだ。モーデナは6日、ベルノポネンテとの間で予定されていた 練習試合が悪天候のため中止になった。24日には別の練習試合が 予定されている。
こうなったらシーズン開始延期を願うしかないか…
幸いほとんど二日酔いもなかったのでのそのそと起き出したら、この日記がエラーを吐いていた。私は何も悪くないのに(きっと台風のせいだ)データファイルがおかしなステイタスになっていたのだ。鯖管理者に言うしかないかなと思っていたら、師匠がよいアイディアを提供してくれ、無事復活!
衣類の整理.3時間くらい作業して,クローゼットとたんすの中身は大体整理できた(大げさでなく半分くらい捨てたような気が→これまでに捨てなさすぎ)ので,後は納戸の冬物たちである.
今日の広島球場の阪神ファンの応援はいい。ちゃんと統制取れてるし、トランペットもうまい。先日の神宮はひどかった。トランペットのメロディはところどころ調子っぱずれ。そのためか応援の声はトランペットと合ってないし、内野と外野がそれぞれ勝手に叫んでいるだけ。やる気あるんかお前ら!と言いたくなるようなダメダメ応援だった。
結局東京の阪神ファンなんて、大半が俄なんだろうな。
筋肉番付(の後番組;体育王国)でタイガースの選手がチャレンジをやっていた.ひーやんは「バッティングターゲット」みたいなのをしていて,目の前にある6つのターゲットを打球で1分以内に倒したらクリア!だったのだが…
こんな無茶なバッティングやるから背筋痛めたんちゃうんかい!
最近何があかんって,実につながりのない打線だ.ここまで独走状態を作り出してきたレギュラーメンバーに疲れが出ているからなのだろうが,下位打線や代打が作ってくれたチャンスを中軸打線が潰している例の何と多いことか.何度と亡く訪れるチャンスをゲッツーで潰すのは,あまりにも痛い.
5時起床.つまり9時間くらい寝た計算か.今まで睡眠不足だった分を一気に取り返したようなものだ.特に寝覚めのよさは変わりないのだが,体にとってはいいことだろう.
そうそう,ホテルの正面にある三角錐だが,サウナを模したものであった.しかし,このホテルではサウナは別の場所に,ほとんどスポーツクラブと同じようにあるので,実用に供されてはいない.つまりモニュメントだ.昨日トレッキングに出かけた国立公園の入り口のところには,炭を焼くようなにおいを充満させた三角錐があったので,こちらは今でもサウナをやっているのだろう.ガイドブック&大学時代の友人の談によれば,フィンランドではサウナに入った後,そばにある(藻の浮いた)湖に飛び込んで冷却するとのこと.ここは飛び込みたくても湖がないので,不可能だが.
今朝は昨日より若干天気がよいが,それでも青空は見えない.外気温は8度と少々.昨日はトナカイには大して会えなかったが,人があまりいない時間帯には,ホテル周辺もうろうろしているらしい.なぜなら,窓の外にも,街唯一の大通りにも,彼らの落とし物…つまり糞だ…がボロボロと落ちているから.クリスマスリースの飾りになるかなと思って松ぼっくりを拾って歩いているのだが,間違えて彼らの落とし物を拾いそうになったり(笑 また,昨日のスーベニアショップには,ビニール袋に入れられた,表にトナカイのイラストのシールが貼ってある,そして黒豆のようでさわるとほにょほにょと柔らかいブツが売られていた.フィンランド語が読めないので何かはっきりとは分からないが,多分奈良で言うところの「シカのフン」というやつではないだろうかと思われる.
今日は13時半のフライトでヘルシンキに移動する.ホテルの前にエアポートバスの停留所があり,12時過ぎに出るようなので,それまでは荷造りなどしつつ,ゆっくりするつもりだ.
6時過ぎに一人で散歩に出かけてみる.といってもホテルから国立公園入口までの間をぐるっと回る程度だが,車もたまにしか通らない,昼間にも増して静かな中を歩くのは気持ちのよいものだ.街でもっとも大きなホテルのあたりでウサギと遭遇.また松ぼっくりを拾いながら歩くが,よく見るとホテル周辺のあたりにもたくさんベリーが実っている.ブラックベリーとブルーベリーでは葉っぱの形が全然違うのが面白い.あと数週間もすればこれらの葉っぱが紅葉してとても美しいらしいが,いくつか深紅に色づきかけたものもあった.
7時くらいに部屋に帰り,ようやく起き出してきていたご夫君に「うさぎがいたよー」と写真を見せようとしたその瞬間,窓の外にトナカイ発見! とても立派な角をしたオスだ.しばらく窓から観察していたが,やっぱり直に見たくなって,カメラとビデオを抱えて外に飛び出した.国立公園内で会ったトナカイは警戒心が強かったが,さすが街中まで出てくる勇気のあるトナカイはそうでもないらしく,私たちがそばをずっとくっついて歩いても悠然としたもので,なにやらもぐもぐと食べながら歩き続けた.私たちはその後になり先になりしてずっと追いかける.まるで成田空港で芸能人を追いかけるレポーターのごとくである.10分くらいくっついて歩いたところで表通りに出た.トナカイは道の真ん中でじっと立ち止まり…おしっこしてから国立公園の方へと悠然と戻っていった.
トナカイの追っかけが終了したので満足して,朝食.昨日は発見できなかったワッフルメーカーを見つけて製造にトライ.普段私はベリー系の果物は食べないことが多いのだが,やはり土地の名物は食べるべき,とソースはベリーにしてみた.その後は部屋でゆっくりとシャワーを浴びたり荷物のパッキングをしたりして過ごし,早めの昼食(残り物食料)を食べてから12時にチェックアウト.エアポートバスがすぐに来たのでわさわさと乗り込み,25分ほどで空港へ.車窓をひたすら眺めてトナカイ探し.何頭か目撃した.
空港は時ならぬ中国人の団体旅行者で占拠されていた.反日教育が徹底していると聞いて反中国意識が一時的に高まっているので,緊張のひととき.…と思ったら話している言語が何となく違う.韓国語とも違うニダ.そしてご夫君が「なんだかすごくよく知ってる言葉がたまに出てくる」という.タイの団体旅行客でした.一体どこにいたのだろうか.サーリセルカではなかったと思うので,イナリだろうか.そしてやっぱり「自由席」なので今度は早めに列に並んで前の方の2列シートをゲット.
日曜日に滞在にしてしまったのでイナリ湖に行けなかったこと.田舎は公共交通機関が少ないのでやはりレンタカーにした方がよかったように思う.イヴァロの空港にハーツその他のオフィスはあったので,さくっと借りて縦横無尽に走り回るのがベターだろう.次の機会はそうするべし.でも次の機会にはもっと北に,具体的にはノルウェーのノールカップに行きたい.
なお今回の滞在では日本人にほとんど会わなかったが,冬は日本人だらけらしい.何でもオーロラを見にツアーを組んでやってくるのは(例:日本旅行・平田氏)日本人くらいのものらしい.なぜだろう.
1時間半程度のフライトでヘルシンキに到着.24度と結構暖かい.そしてまぶしい.どうしてこう太陽が眩しいのかヨーロッパ.空港からはバスで中央駅まで40分弱だった.空港の周りには郊外型のスーパーマーケットがたくさんあった.中央駅から宿泊するホテル・カンプまで荷物を引きずって10分弱の距離だった.繁華街のど真ん中の,多分ヘルシンキ大学までも近い距離にあるところ.アサインされた部屋は8階で,今回の旅行の中では一番豪華っぽい,重厚なヨーロピアンスタイルの内装だ.洗面所も2ボウルあるし,バスとシャワーブースは別になっている.インターネットは24時間20ユーロで,ロンドンのホテルのほぼ半額.1泊は200ユーロ.やすーい!(ただしこれはSPG-JALの50%オフプロモーション価格.とはいえロンドンのインターコンチもPriority Clubのレートではある) いろんな意味で,快適,快適.
夕方はホテルの近所を散歩.歩いて3分ほどでヘルシンキ大学.大学内は食肉科学の学会をやっているらしく,ポスター会場があったり,Elsevirの学会誌見本コーナーがそのまんま放置されていたりしていたが,全体的には夏休みということでとても静か.すぐ隣が大聖堂で,白亜の美しい建物だが,中身はプロテスタントなので至極あっさり.全景をカメラにおさめていたら,隣でビデオを回していた外国人(フィンランド人でも日本人でもない)が「これは何ですか」と尋ねてきた.君,何も知らずにビデオを回していたのかね.Cathedralですよ,と教えてあげた.
そしてトラムが行き交う通りを渡るとすぐに港.シリヤラインの巨大な船が何隻も停泊している.ちょうど観光船が出航時刻だったので,これは乗るべし!とさっさとチケットを買って乗り込んだ.かなり船好きな私は,この手の観光船にはどんどん乗ってしまうのだ.1時間半でぐるりとヘルシンキ沖…というのはおかしいな,湾内をぐるっと巡るツアーである.いくつもの島が点在している湾内だが,水際にはカラフルにペイントされた別荘+サウナのセットがある.サウナに入った人々はそのまま海にドボン…と飛び込むそうだ.それを聞いて目を輝かせたのはご夫君で,いつどのサウナからドボンと来るだろうかと目をランランと輝かせて観察.しかし,煙突から煙が出ている=使用中のサウナがそもそも少なく,残念ながら飛び込む現場を見ることはできなかった.子供が何人か裸で水浴びしてしてはいたけどね.1時間半かけて遊覧終了.ちょっと寒かったけど楽しかった.
いかにも東京の人っぽい発想だなあと思いました.いや,改めて錯誤と言われなくても私たちには日常そのものの行為なので…
延々とLHRで時間をつぶした後,ようやくアイスランドエアに搭乗.席に着くなり爆睡.離陸は1時間弱遅れたが,30分ほど回復飛行をしてくれたので,23:40(アイスランド時間はGMT-1)にケフラヴィーク空港に到着.そこからはフライバス.途中で変な場所にあるユースに泊まるというおじいさんをちょっと後戻りして降ろしたりしたので時間がかかった.バスターミナルでさらにマイクロバスに乗り換えて,後はそれぞれホテルに送り届けるというシステムだった.ホテルに到着したのは午前2時.ああ,大変でした.
ホテルはこぎれいでいいんだけど,寝るだけ.お湯の蛇口をひねると硫黄のにおいのきついぬるぬるしたお湯が出た.さすが火山国.温泉だ.
6時過ぎに起床.相変わらず短時間しか寝られないが,さすがに寝たのが2時半なので,起床時間自体はまともである.昼食用のご飯を炊き,8時にホテルにレンタカー業者が来ることになっていたので,それまでに朝食を済ませようとレストランに行ったら,
あなたたちの宿泊料金には朝食が付いていませんが,どうします?
と言われてしまった.ビュッフェは1550Ikr(アイスランドクローネ),日本のシティホテル並みに高い.もちろん今からさっき炊いたご飯を食べてしまってもよいのだが,逡巡した挙げ句,高いビュッフェを食べることにした.疲れているときは,時や手間より金なり,である.食堂は結構混み合っていて,日本人の姿もちらほら.ビュッフェの内容自体は普通に充実していたので,頑張ってお腹いっぱい食べた.部屋に戻ってからは,炊けたご飯にわかめご飯の素を入れてまぜまぜし,おにぎりにしてタッパーに詰める.今日のランチだ.
レンタカー業者は予想通り時間には来なかったので,「まだか!」などと電話しつつ,8:25頃には無事ロビーで落ち合うことができた.事前にご夫君がやりとりした予約メイルの内容では,ホテルで落ち合ってから近くのレイキャビク空港(ホテルのそばだが,ドメ専用の小さい空港なので国際線の離発着には使われていない)まで連れて行ってもらって貸し出してもらうのか,それとも車をここまで持ってきてくれるのか,よく分からなかったのだが,結果的には後者だった.顔のあちらこちらにピアスをつけた,普段なら「こいつ,絶対ドラッグきめてる」と疑ってかかりそうなお兄ちゃんが,笑顔で引き渡してくれたのは,予約していたスズキジムニーではなく,トヨタのRAV4だった.いずれにせよ4WDであることが必須条件なのだからそれでかまわない.「最後はケフラヴィーク空港の出発ゲートのところにある駐車場に停めて,グローブボックスに鍵を入れといて.じゃねー」とあっさり引き渡しは完了した.
さて,荷物を積み込んで出発.まずごく間単にレイキャビク市内観光だ.天候はくもり,気温は14度くらいで,長袖シャツに薄目のセーターやデニムシャツを重ね着すれば普通に過ごせるくらいのひんやり加減だ.レイキャビクは港を中心とした,ヘルシンキを思いっきりこぢんまりさせたような街である.道路は右側通行で,あまり信号はなくロータリーが多いのはヨーロッパ標準仕様という感じだ.特徴的なのは,これも北欧と共通しているが,家の外壁がとてもカラフルに塗られていること.壁にあまり凸凹のない四角い家が建ち並んでいて,それぞれ思い思いに…では多分なく,周囲とのバランスを考慮してきれいな色で塗られている.見た目にぱっと華やかでかわいらしい.
まず出かけたのはとても特徴的な造形をした教会.なんと読むのかわからないが,Hallgrimskirkjaと綴る(アイスランド語は私たちにとってはとても難解で,この教会の名前はまだいい方だ.まだしもアルファベットにある文字で綴られている).コンクリート打ちっ放しで,75メートルの尖塔がシンボル的に中央に敗されている.1940年に建築が開始され,完成したのは1974年だというからとても新しい.教会の前の広場には,初めてVinland(どうも今はアメリカらしい.アラスカか?)を発見したヴァイキングを記念した銅像が建っていた.こちらは1930年(発見1000年記念にアメリカから寄贈された)に建てられたというから,教会よりは先輩だ.教会内部は大がかりなパイプオルガンはあるがごく簡素なつくりで,エレベータで尖塔の鐘楼部分まで上がると,レイキャビク市内が一望できた.
眺望をしばらく楽しんだ後は,またレイキャビク市内をぐるぐる走り,しかし特に他に行きたいところもない(博物館や植物園などをゆっくり見るだけの時間はない)ので,買い出しのために郊外のショッピングセンターKringlanへ.こういうところの構造は世界共通らしい.まるで「ここはららぽーと甲子園か!」という店内だった.とりあえずスーパーに行って水や生鮮食料品を買い,あとは本屋で地図を購入.話には聞いていたが物価はかなり高い様子だ.特に本はものすごく高く,写真入りの観光ガイドなど,小さく薄っぺらいものでも4000Ikrくらいして(100Ikrは180円程度であると考えれば目安となるでしょう)とてもではないが買えたものではない.「のだめカンタービレ」1巻英訳版も平積みになっていたが,ペーパーバックで1395Ikrもしていた.
買い出しも完了したのでレイキャビクをあっさり離れ,一路北東に向けて出発.今日の目的は,アイスランドの中でももっともメジャーな(なぜなら首都に近く,日帰りバス観光が可能だから)観光地,ゴールデンサークルと呼ばれる地帯を観光した後,内陸部のダートドライブを経て,アイスランド北部の街Saudarkrokur(簡略表記:本当はいくつかの文字には点やら何やらいっぱいついている,というか,大文字はそれで済むが,小文字は発音記号そのもの)まで行くことである.
レイキャビク市内を離れてしばらくすると,すぐに周りには人の生活している影はほとんどなくなり,いかにも火山地帯らしい風景になる.ハワイの内陸部とそっくりの雰囲気だ.ハワイと違うのは,ところどころきつい硫黄のにおいもすることで,まだそこが火山活動中であることがわかる.交通量はあまり多くないので,快適に飛ばすことができてよろしい.40キロほど走って,地球の裂け目「ギャオ」のあるPINGVELLIR(最初のPは本当はPとは少し違う字なのだが)に到着.なぜ裂け目かというと,ヨーロッパプレートと北米プレートがどんとぶつかってちょっといびつにくっつっきました,という地帯だからである.川口浩が探検したことでも有名である.すぐそばには930年に「世界で初めて」民主制議会が成立した場所The Alpingがあり,その宣言がおこなわれた場所Logberg(Law Rock in English)が記念に保存されていた,ちょうどギャオを背にしていて,前は平地が開けているので「岩壁が天然のラウドスピーカーになった」そうである.少し雨が降っていたので,早速先般購入したウィンドブレーカーを着込んで周囲を散策.ギャオの内部は歩けるところもあるが,小さな滝が流れ落ちているようなところもあった.探検隊ごっこができるような狭い洞窟地帯は,多分観光化されていないあたりにあるのだろう.
次はさらに40キロほど行って,間欠泉が噴き上がることで有名なゲイシールへ.これはまあ,別府温泉みたいなものだ.ぼこぼこと温泉がわき出し,煙が上がっている中を散策することができる.ここは硫黄のにおいはさほどでもない.観光客がぐるりと取り巻いてカメラを構えている,ひときわ大きいところが間欠泉で,少し青みがかった水がぼこぼこと活動している.5分から10分くらいに1度,ぼこぼこいっていた湯がすうっと穴の中に吸い込まれるような感じに何度かなった挙げ句,
もかーっ
と穴からお湯がふくらんできて,
ぶしゃーーーーっ
と間欠泉が噴き上がる,そういうしくみのようだった.ほんの数メートルという間近で間欠泉を見たことはなかったので,楽しい.もかーっとふくらむところが面白くて,頑張ってビデオに撮った(この夜,ほとんど寝かけの私にご夫君が「今日は何が面白かった?」と聞いたところ,「あの,もかーっってやつ」と答えたそうである).日本なら周りが一大温泉街になりそうなものだが,昨日のホテルでもお湯はみな硫黄泉だったのだから,アイスランド人にとっては「普通お湯って温泉でしょ」なのだろう.
ビデオに撮れたので満足して,ランチ.高速道路のパーキングエリアのような土産物屋のそばにあるテーブルに陣取って,持参のおにぎりをぱくつく.今日も炊きあがりは上々だ.
さてゴールデンサークル最後の観光地は,先般TBSの滝特集な紀行番組でも紹介された,Gullfossという大瀑布である.ゲイシールからは10キロほどととても近い.周囲の雰囲気はまるでなだらかで,こんなところに滝があるのか?という感じなのだが,駐車場から少し下ると,そこには氷河から溶け出した水が轟音と共に滝壺に流れ落ちていく大瀑布があった.滝のそばまで行けるのだから随分びしょぬれになるかもしれない,と持参のウインドブレーカーに,さらにはズボンの方まで穿いて完全装備で出かけたのだが,そんなのは私たちくらいのもので(笑 みんな普通にジーンズにシャツ,みたいな感じでうろうろしていた.雨も降っていなかったので必要なかったかもしれない.ちょっと恥ずかしい.でもまあ,気にせずに滝を満喫.ナイアガラもイグアスも,有名な滝はまったく見たことがないので比較ができないが,少なくとも日本にあるところの滝の概念とは全然違うものであることはよくわかった.
さて,今日のメイン観光は終了したので,いざ宿泊地へ.しかしこの「いざ」がくせ者で,実はもっとも長くハードなドライブを必要とするのは実はこれからなのだ.ご夫君によれば,190キロほども,ほとんど舗装されていない,しかもbumpyかもしれない道路を走る必要があるという.この路程があるから今回はわざわざ4WD車をレンタルしたのである.グルフォスからも遠目に眺めることができた氷河の方に向けて,どんどん走る.最初はアスファルト舗装されていた道に,次は少し小石が混ざりだし,そして本格的なダートとなる.だんだん近づいてきた氷河は,まるで少し荒れた海のような見た目ので,あれが氷が固まっているところだとはすぐには実感できないのだが,まったくゆらぎがない.気温は,ひんやりとはしているものの激寒というほどでもないので,氷河があるということすら,なんとなく違和感があるくらいだ.
ドライバーたるご夫君としては,道悪の程度は予想したよりも大したことはなかったようだが,局所的に大雨になるところもあったりして,そうなると途端に走りにくくなる.道がbumpyであればあるほど,でこぼこの部分に水たまりができて,泥水を猛烈に跳ね上げながら運転することになるし,そもそもハンドルがとても軽くて地面をホールドしている感覚が低くなるらしい.何度かハンドルを取られつつも,ここで自爆したら考えるだにおそろしい,という一念で先へ先へと進むのだった.途中,ごく普通の車でのろのろと進む車を数台追い越したが,あれだと一体何時間かかるのだろう,と思う.自転車もいたにはいたが…あれは何泊かキャンプしながら走り抜けていくのだろう.
風景は,基本的には左右に氷河を見ながら,ところどころその溶けた水でできたのであろう川や湖があり,それ以外は荒涼たる大地,という感じ.コケ程度の植物が生えているところにはあるが,時にまったく何の生命のにおいも感じないようなところも少なくない.まるで月面もかくやといった雰囲気だった.
途中1回の休憩をはさんで,4時間程度でようやく内陸地を走破,レイキャビクから大きく海側を迂回して走ってきた1号線と合流した.「アスファルトで舗装された道って,なんて走りやすいんだろう」とご夫君が実感たっぷりにつぶやくのも,無理のないところであっただろう.
アスファルトの道をしばらく(といっても50キロくらいは行ったと思う)走って19時頃にSaudarkrokurに到着.アイスランド北部ではアークレイリ(アイスランド第二の都市)につぐ規模の都市だというが,つまり小さな港町だ.その外れに今日泊まるホテルTindastollがあった.やはりきれいなグリーンに塗られた,山小屋風の建物だ.1884年創業の古いホテルだそうな.音を聞きつけてすぐに管理をしているらしい若者があらわれたが,チェックインは名前を聞かれるだけの簡単なもので,宿泊する部屋に案内された.全8部屋(いずれもダブル)のうち,2つだけある広め角部屋で,窓の外には小さいが丸く岩で湯船が作られた露天風呂がある.調度品はみんな木製のアンティークで暖かみがある.ロンプラアイスランド版によれば「one of the best boutique hotels in Iceland」とのこと.
ハードな日程を終えてほっと一息.露天風呂に入ろうかと思ったが,ベッドに横になると眠気が襲ってきてそれどころではない.なんとか夕食を作って食べるのが精一杯だ.今日のメニューは,スパゲッティミートソース(当然ソースはレトルト)と,持参の切り干し大根&その他干野菜と今朝レイキャビクで買ったサヤエンドウをめんつゆで煮たもの.大変おいしゅうございました.テレビも一応あって,CNNをぼーっと眺めていたら,スペースシャトル無事帰還の報に接したのはよかったが,SPORTS BARでプロ野球の結果を知ってしまったorz 中日11−阪神7って何やねん.イガワー,と唸りながらしかし眠気に負けて就寝.
終日,狂犬プロジェクトの地獄作業.あ,いや,午前7時から9時までの間は,かろうじて某プロジェクトの最終詰めと,チュートリアル演習原稿の修正に手をつけることができた.
狂犬プロジェクトは,帰国翌日,すなわち伊丹空港に戻ってきた当日午後にも大学に出なければならないことになった.学部長曰く「asarinさんはいないとだめ」らしい.マジかよ….なんだか悲しくなったので,
「学部長よぉ,弁当買ってこいや〜」
とこき使ってみた.そういうことするから「いないとだめ」になるのかもしれない.
今日は久しぶりに業務のない平日.
9時に自宅を出て甲子園方面に行き,カーベカイザーでおつかいものの「トンボ一筋」を購入してまずは茨木へ.尼崎から名神に乗ったら事故渋滞に遭う.東行き車線では何があったかボンネットが全焼した車が停まっており,西行き車線ではトラックに突入してボンネットがぐしゃりと潰れた車が停まっていた.
茨木では実家に植物さんを預け,コタキナバル土産を渡し,珊瑚の生えそうな膝小僧を自慢し,ザルツブルグで行ってほしい店のリクエストを受けた.
次に阪大豊中キャンパスへ.Jスルーで久しぶりに出来合いの弁当を食べ,トンボ一筋とマンゴープリンを食べて,秘密の相談と悪口の言い合い(笑 をしてから,慌ただしく追い出されて今度はD棟に移動.AIDs研究会に出席して西田研M1君たちの発表した2本の論文についてあれこれとコメントする.Knowledge basedなパーソナライズドリモコンの開発に関するお話と,MSのClearTypeというフォント表示スタイルは素晴らしいのだということを言わんがために評価実験をし,かなり無理めの結果解釈をやっちまった実験のお話.HCIってどういう学会なのか,一体審査が厳しいのか甘いのか,段々分からなくなってきた.
研究会終了後,IさんとNくまるちゃんと3人で,新築なったまちかねM君ちにおじゃまさせてもらう.阪大豊中キャンパスから徒歩圏の落ち着いた住宅街にあるぴかぴかの新居.玄関脇にはひろびろウッドデッキがお出迎えだ.渡辺篤史モードでいろいろと探訪させてもらった.2時間ほどお茶とお菓子を楽しみながらおしゃべりしてから辞去.
先月下旬に,投稿していた知恵袋論文が受理された話を書いた.
その時,大変迅速かつ的確な対応をしていただいた主査の廣岡秀一先生が,本日にお亡くなりになったとの知らせを受けた.長く続けておられたブログに突然終了が告げられてから1ヶ月も経っていない.入院されたことはブログを読んで知っていたが,まさかそんなにお悪いとは夢にも思っていなかった.集中講義の時にD先生とお話しして,実はとてもお加減がお悪いことを知った.しかし,それでも,こんなにすぐにお亡くなりになるとは,夢にも思っていなかった.というよりも,そんなことになるなんて,思いたくなかった.
お加減が悪いことを聞いた時点で,共著者のにのじ先生とご相談申し上げ,論文には主査+匿名の査読者2名の審査に対する謝辞をつけることに決めていた.その許可を,まさに今日の午後に編集事務局からいただいたところだった.私たちの感謝の気持ちをお伝えできないままになってしまうことが,本当に残念だ.
何とも言葉にならないのだけれど,とにかく,心よりお悔やみ申し上げます.
今朝も6時から某章のチェック.一通りチェックし終わって9時過ぎ.荷造りの最終段階をやってから,10時前にチャリでJR西宮に突撃して高大連携出張の切符を予約.激走すれば5分ちょいでいけることが分かった.さらに激走して汗だくで帰宅し,シャワーを浴びて,ようやく旅行に出る格好をして,11時30分のリムジンバスで伊丹空港へ.
空港では,ダメもとで羽田便から成田便(Web上では空席なし)への変更をお願いしたら,なんだかよく分からないができてしまった.なんと伊丹からの午後便はCRJという50人乗りのミニマム飛行機なんである.当然クラスJ設定などないのし空港使用料も違うので払い戻しもあったというおまけつきだった.
というわけで伊丹で出国することになったため,ついでに最終到着地までの荷物タグをつけるのもお願いする.サンフランシスコ→ソルトレークシティ→ジャクソンホールという乗り継ぎ経路を示したら,カウンターのお嬢さんの目が点になって,
遠いですね…
とおっしゃった.遠いらしい.その後,空港内のレストランでそばと天丼を食べ,ラウンジに沈没.やはりまめまめしくSHIP.
ブルンブルンと頑張る小型機で成田到着.2-2の13列にぎゅうぎゅうと詰め合わされたのだが,隣の列に「ミヤネ屋」のキャスターがいた.テレビで見るよりずっとガタイが大きくてびっくり.隣のお嬢さんとの関係を気にする関西人な私であった.
すぐに出国してラウンジに没入.お食事もいっぱい,お酒もいっぱい.ただし後者は縁がない.明るい雰囲気でちょっとアメリカ風なラウンジである.ビジネスコーナーで小一時間頑張ってSHIP原稿へのコメントつけも終わらせて,軽くお食事をしつつ搭乗に備える貧乏性な私であった.
この講座は可処分時間alwaysMAXな方々を相手にしているだけに,夏休みもまったく無関係に2週おきに巡ってくる.今日は戦争を思い返す時期を記念して,というわけではないのだが,服従実験ネタを展開.慣れているはずの話なのに,どうも質の違う緊張と焦りを覚えるのはなぜだろう.
というわけで今日も授業とは異なるげっそりとした疲労感を覚えて終了.ただでさえ残り少ない若さを受講生たちに吸い取られるからだろうか…
急いでキャンパスに戻り,お昼は集中講義に来て下さっている先生とのお食事会@関学会館.まったくの初対面+分や違いの方だが,昨年まで某研究所で大学の後輩takajin君と一緒に仕事をしておられたというのをきっかけに,親しくお話させていただいた.
印象に残ったのは,某大学心理学科にまつわるこわぁいお話.まさしく四谷怪談という趣であった.
急いで帰宅し,夕方は明日からの休暇に向けた荷造り.今年は直近の〆切仕事を先週末で終えられたので,比較的余裕のある旅行前である.多分この分だと明日空港バスの乗り場まで必死になって荷物転がしながら全力疾走する必要はないだろう.
それにしてもびっくりしたのは現地の気温.モスクワが猛暑だというのだからきっとヨーロッパ全土が猛暑に違いないと思い込んで夏服ばかりを並べていたら,はびーが,
あんた,それはやめた方がええで
とおっしゃる.何で?と聞くと,
調べたら分かるから
とおっしゃるので,iPadのGoogleに向かって
あむすてるだむ てんき
と叫んだら,すべてが分かった.念のため,
ぶりゅっせる てんき
と叫んでも,同じだった.めっちゃ寒いんやん!せっかく休暇気分で足の爪を真っ赤に塗ったのに,これでは見せるチャンスはなく,したがってモテることもなさそうである.残念.
今秋から神保町本店で始まるサービス.
海外の学術書など100万点と「Googleブックス」の洋書200万点,さらには電子化済みの日本語書籍,客からのリクエストにも応えるのだそうだ.On Demand Booksの製本機Espresso Book Machineを利用して「「コーヒータイムほどの短い時間」で印刷・裁断し、その場で手渡しできる」というのだから期待が持てるが,神保町には気軽に行けず,確か三省堂のまともな店舗は近くには存在しないはずの関西人としては,コストとともに同業他社がどういう追随を見せるかが気になるところ.
卒論面談×2と実験室工事直前打合せをして,夏休み前のすべての学務+学内研究関連業務を終わらせた.明日から出張(広島)→休暇→出張(東京)が立て続けにあるので,次に大学に出るのは25日になる.
卒論面談は質問紙の修正(オンライン→紙ベースへの変更と一般向け表現への改訂)と実験計画の相談.後者は長らく「テーマは決まったが具体的な研究計画に落とし込めない」状態が続いた学生だが,春学期のゼミが終わった後にようやく突破口が開き,それからはスムーズに進んでいる.前者は「一般向けの調査項目って一体どうしたら「分かりやすく」なるんだろう」というところで苦慮.何が「分かりにくい」かを分かるのは案外難しいのである.多分,私たちが考えてもうまくないので,一般の方にコメントをもらう方がよいだろう.
実験室工事直前打合せは,13時からという約束だったのに12時前から業者が実験室に来ていて,それとは知らず鉢合わせしたポスドクがびっくり.いや,ある程度のセッティングが必要なことではあったので,ご熱心なのはよいことだが,我が物顔でクライアントの領分(以前に彼らが設置したものもたくさんあるのだが,それ以外の物品も同様にたくさん置かれている.なお,センターのポリシー上,実験室そのものは施錠されていない)に無断で入り込むというのはどういう感性によるものだろうか.事前に一言してくれれば特に問題ないことであっても,無断でされると身構えてしまう.もちろんクレイムしたが,分かってもらえるかどうかは心許ないところだろう.
業務終了後はのんびりと論文書き.楽しく書き進めることはできたが,残念ながら書き上げるところまでは至らず.明日ももうちょっと頑張ろう.
今日は大学に出ないでおこうかと思っていたのだが,少々処理すべき案件を残してしまっていたことに気がついて出勤.昨日の打合せをふまえたデータ整理作業を院生に委託したり,ついでに,2つのオンライン調査のチェック+連絡作業など.新しく使い始めたサービスが結構使いよくて,これからはずっとこっちにしてやれ,という気分になっている.
大学は土曜日から21日まで長期の盛夏休暇に入る.この休暇は長いことに加えてとても本格的で,学部事務室は完璧にクローズで郵便物や宅急便は受け取れないし,キャンパス内各所のゲートも閉まっていて正門を経由しないと各所にアクセスできない.もちろん,しっかり休むという姿勢そのものは素晴らしいと思う.
中に一日停電があるのを忘れていたので,帰りがけに冷蔵庫の中身を処分.休暇明けに戻ってみたら異臭を放つ研究室になっているところだった.出勤してよかった.
自分自身の休暇後そのまま間をおかず九州出張なので,次に大学に出るのは早くて24日か,おそらくは8月最終週になるだろう.
3時30分起床。4時10分発のシャトルバスで羽田空港へ。チェックインして出国し、さくらラウンジで昇る朝日を見ながら朝ご飯。スイスフランを5万円分くらい両替して、6時前に搭乗。定刻通りに離陸。
BAのビジネスクラスは最近はやり?の2席が向かい合わせになっているタイプで、フルフラット。寝心地はかなりよく、疲れはほとんどない。ホノルル便の似非ビジネスクラスとは大違いである(ホノルル便もまもなくシェルフラットになるらしいが、これは今のスカイラックスよりははるかにマシだが、くの字型になっていてだんだんずり落ちて行ってしまうために、寝心地最高とは言えない)。約12時間のフライト中、2時間ほど眠り、その他は持ってきた資料を読んだり、頭を整理するための文章を書き殴ったり。幸いなことに、ほとんど退屈せず過ごせた。
ほぼ予定通り、現地時間午前11時頃にロンドン・ヒースロー空港に到着。当然日本よりはかなり涼しい。ヒースローと言えばバカでかいし混んでるしで乗り継ぎが大変、というイメージがあるのだが、今回は同じBAのチューリヒ便に乗り継ぐのでターミナルを移る必要がなく、また、チューリヒ便も(日本−ロンドン便からのコネクションフライトとして同時に取ったので)ビジネスクラスでファストトラックを使うことができたので、再度の手荷物検査も比較的短時間の待ち行列ですんだのは助かった。1時間ほどラウンジで休憩し、日本からのメイルチェックをしていくつか必要な対応をした後、12時35分のフライトでチューリヒへ。
チューリヒには2時間弱で到着。空港はとても静かだった。入国もまったく並んでおらず、荷物も割とすぐ出てきて、レンタカーを借りるのも特に手間なく。高速道路を走ること1時間半ほどで本日の宿泊地エンゲルベルクに到着した。途中ルツェルンあたりから雨が降り始め、周囲の山の光景は霧に煙ってほとんど見えない。予約していたリストランテホテルに到着したら、「今日はオーバーブックで申し訳ないけどこっちのホテルに行ってくれないかしら。料金はまったく変わらなくて、うちじゃ朝食はつかないけどこちらではつくからむしろお得よ」なんてことを言われる。はいはいと素直に聞いて教えられた Hotel Belmontに移動。スタッフはフレンドリーだったし、小さいがキッチンもついていて、広くはないが清潔だし、Wi-Fiも無料である。うむ、悪くなかろう。そして、寒い。
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