背中の痛いのがなかなか治らないので,念のためにと病院に出かけてみた.レントゲンも撮ってもらったが取り立てて悪いところはなさそうで「筋肉の張りでしょう」と痛み止めと冷湿布をもらった.一挙に30枚もくれたのでちょっとうれしい.あとは,レントゲン技師さんがものすごく恐縮タイプの男性だったのが楽しかったくらい.
ご夫君がいないので,背中に湿布を貼るのは結構手間だ.
湿布を二枚貼って,家でだらだらお昼寝をしたら,少し気分も軽快になった.今日は茨木弁天の花火大会鑑賞会@某ビューポイントなので,18時に大学へ.
湿布は随分効果的らしく,格段に痛さが和らいだ.
ふだんはほとんど登る機会のない(私が登ったのは人生通算2回目)風通しのよい高いところに行って,茨木弁天の花火を見た.うちの院生&臨老の院生&その他パラパラ.左の写真に示すように,ちょうどモノレール阪大病院前駅の真上,付属病院の右手によく花火が見えた.高いところだから風通しもとてもいいし,なによりぎゅうぎゅう詰めで見る必要もないし,非常によい観賞場所だった.なんでこれまでこの作戦に気が付かなかったんだろう!
茨木在住ほぼ10年目にして,この花火大会をまともに見たのは実は初めてだったりする.それなりにへぼい大会ではないし,自宅からも,半分覗くくらいに見ることはできるのだが,なんとなく機会がなかった.みんなでわいわいやりながら見る方が,楽しいしね.この場所からは,万博方向も非常によく見えるので,明後日から週末に毎日あるらしい花火大会も,見ようと思えば見放題ってことだな.
オイスターゆきと連れだって,お大尽・超福耳氏に「床で鱧」をごちになった.しかし大台風のため,床に出ることはできなくて座敷で.ちょっと残念.
4時過ぎにやっぱり目が覚めた.外はもう白々として,夜が明けている…という感じでもないが明るい.さすが白夜の国だ.しかしそれほどひどいわけではないが,雨が降っている模様.窓の外の温度計は13度を指していた.今日は7時前まで二度寝.8時前に朝食.客はそれなりにいるようだが,日本人はいない.とはいえ日本人が全然来ないわけでもないはずで,スーベニアショップのポスターには「免税手続きします」とか日本語で書いてあって,やっぱり日本人は土産好きなのかと思ったり.朝食は普通にブフェで,味もそんなに悪くなかった.何より久しぶりに生野菜が食べられたのがうれしかった.
9時にホテルを出て,まずスーパーに行ってバンドエイドを買って(ちょっと靴擦れしていたので),トレッキングに出発した.目的地はウルホ・ケッコネン国立公園.ウルホ・ケッコネンというのはフィンランドの第8代大統領の名前で,国内で2番目に広い国立公園らしい.ホテルから歩いて5分ほどのところに入り口があり,そこから2.5kmか6kmのトレッキングルートが整備されている.せっかく来たのだからと,長い方の6kmコースを歩いてみることにした.フィンランドは全体的になだらかな地形で,トレッキングといってもほとんどきつい登りはない.緩やかに登っていく道のそばにはブルーベリー,ブラックベリーなどベリー類が実っていて,たまにキノコも生えている.もうすぐ紅葉の季節だということだが,それにはまだ早かったようだ.ぽくぽくと歩いていても,ほとんど人がいない.その他の動物もいない.たまに鳥の鳴き声がするが,ほとんど静寂の世界である.
最初の2kmほどは白樺や松の木が群生していたが,やがて森林限界を越えたらしく,丘の上の方は足元のベリー類以外背の高い木はまったくなくなってしまった.森の中を歩いている分には,木がある分風が遮られていて,長袖の綿シャツ+ババシャツだけでじゅうぶんなくらい暖かかったのだが,森林限界より上は吹きっさらしでかなり寒かった.といってもパーカーを重ねればがまんできるくらいだから,寒いとは言ってもそこは夏だということなのだろう.氷河期に作られたという地形は,専門的なことは分からないが,少なくとも珍しい光景ではあった.ところどころに英・仏・独語併記の説明板もあって,私たちの理解を助けてくれた.
ガイドブックにはトナカイやライチョウがいると書いてあるのに全然会えない.時間が悪いのかもなと思って丘を下り始めると,ようやく3頭のトナカイの親子連れを発見!と同時に向こうも我々を発見! かなり警戒心が強いらしく,すぐに遠くに行ってしまった.それでもなんとかカメラにその姿をおさめることができた.その後,遠目に3頭,そして間近に2頭の姿を見ることができた.間近にいた時はほんの5メートルほど先だったのだが,びっくりして声をあげてしまったので逃げられてしまった.残念.
6キロを2時間半ほどで歩ききってスタート地点に戻った.改めて案内板を見直してみると「ベリー類やきのこは自由に食べてください」「自然を味わおう!」などと書いてある.なんと,食べてよかったのか! ということで遅まきながら周りに生えているブルーベリーとブラックベリーを食べてみる.酸っぱかったがおいしかった.きのこは…さすがに食べてよしと言われてもそうする気にはなりませんでした.
12時頃にホテルに帰還.さっさと昼食を製造.今日のメニューはペンネ+レトルトのパスタソース,冷凍いんげんをゆでたものと,ソーセージをゆでたもの.後ろの2つは昨日スーパーで調達したものだ.いずれもおいしくいただいた.
しばらく部屋で「トリビアの泉」DVD-RAMを見てまったりした後,今度はホテル内のプール&ジャグジー&サウナへ.フロントでロッカーの鍵を借りて入るシステムで,外来客は10ユーロかかるらしい.プールは小さいながらもスライダーがあったり,波の出る時間帯があったりで,今は亡きスパウザ小田原のバーデ施設のような雰囲気だった.親子連れやカップルが結構いた.サウナはドライとミストがあり,ミストは男女共用.水着(フロントで借りた)は脱がなければならないのだとご夫君に言ったら「えーーーーっ」とかなり拒否反応(w 意外である.「人を見るのも見られるのもちょっと抵抗が…」だそうだ.別に気にしてないと思うよー,それにあんまり人入ってないしー,と説得して結局一緒にミストサウナに入った.汗がたくさん出て気持ちいい.
余談だが,実はこのホテルは朝日放送の「おはよう朝日です」の宮根氏と日本旅行の平田氏が「オーロラを見る」ツアーの紹介で今年の冬にロケに来ていたところである.ちなみに,彼らはドライサウナに入っていた.
部屋に戻って,またまったりの続き.ご夫君は買い物に出かけた.
17時にホテルのスーベニアショップが開いたのでひやかしに行った.が,予想通りとても高いので,ほんの数品のみ購入.40ユーロから免税が受けられるらしいが,そこまで買わず.その後ホテルの周囲をうろうろするが,特に収穫はなし.
部屋に戻って,またまったりの続き.ご夫君は買い物に出かけた.歩き疲れた上にサウナに入ったのでもう眠い眠い.夕食(炊き込みご飯&みそ汁)を作っている間もぐーがー,ようよう起き出して食べた後も,1時間耐えるのもまったく無理なくらい激しく眠く,眠気覚ましに見ていた「パペマペスペシャル」DVDも,必死で頑張っても半分も見られなかった.「1時間寝るな主義者」のご夫君もさすがに「もう寝ていいから,寝ていいから」と言って…いたような気がするので,推定20時過ぎに就寝.
伊丹−成田便と同じ機材でヒースローに行くことになるらしい.ちなみに「Yokoso Japan」塗装である.成田空港は夏休みの出国ラッシュということもなく,とても空いている.しかしグローバルラウンジはほぼ満席.家族連れが目立つ.
まあその辺の無線LANスポットと同じ.搭乗中使い放題でUSD29,従量制の課金制度もあり.速度は,やや遅い.
給餌中にかなりひどいタービュランスに入り,サーブされた水やスープが波打ちまくり.ただ一つそれをなくす方法は「飲むこと」なので,せっかくかなりおいしかったオニオングラタンスープを一気飲みさせられてしまった.残念.
揺れが収まった後は,食事もそこそこに「参議院採決祭」を楽しむ.残念ながらネットライブはつながらなかったが,2ch実況とY!友達ステイタスで,大体の状況は分かった.奈良−シベリア上空−パリの三元ネット中継であった.
食後はえっちらおっちらTeXをダウンロード&インストールして仕事を開始.ご夫君はシャンパンとワインを飲んで即寝体制のようだ.隣のおっさん(ご夫君ではない)のいびきがうるさい.ノイズキャンセリングヘッドフォンでまだよかった.
相変わらずシベリアは長い.仕事をしたり,雑誌読んだり,映画を見たり,いろいろやって暇をつぶす.ネットがつながると,暇つぶしネタは格段に増えるからよい.映画チャネルで「見ごろ,食べごろ,笑いごろ」(電線音頭の番組)をやっていたので見てみたが,見事なまでにまったく面白くなかった.単に古いからというわけではない気がするが,じゃあ一体なぜだろう.
投票日は9.11が濃厚らしい.となると日本心理学会の大会中だ.不在者投票に行かなければならないし,行った先で宴会を入れると開票速報が見られない.優先的には入れないように努力しなきゃ.
1時間半ほど寝た.やはりロンドンは遠く,12時間は長い.ときどきネットワークの調子が悪くなり,Boeingにはつながってもインターネットにはつながらないか,破壊的に遅い状態が続くことがあるようだ.これだと従量制料金ならかなりのクレイムが出そうな気がする.
ハワイでも壊れたバゲージ,今度はキャスターが1個取れて出てきた.クレイムつけがいのあるものだったけど,なんかここまで弱いとこっちの責任な気がして,そのまま出てきた.
We arrived LHR around 16:00 GMT and next flight to Iceland will be at 21:10...
昨日放送されたNHKスペシャル.先だって「散るぞ悲しき」を読んだ流れで見た.
半分くらいはほぼ既読の流れだったが,後半は栗林中将(すなわち前掲書の主人公)亡き後のゲリラ戦に関する兵士たちの証言だったので新たな興味をひかれた.特に投降を呼びかけた米兵の証言「日本兵に「出てこい,身の安全は保証するし,日本に帰れるのだ」と呼びかけても誰一人出てこようとしないのはなぜなのか.信じられない」や,生き残った日本兵の証言「投降しようとした仲間を後ろから撃った」などを聞くと,「生きて虜囚の辱めを受けず」と,生き恥をさらすことを最大の屈辱としていた(そのように教育されていた)日本人の精神性を痛感した.今の証言者は,そうして後ろから撃っておいて自分は結果的に生き残っ(てしまっ)たのだから,戦後もずっと口をつぐんでいたというのもむべなるかな,か.
寝室でじぃっと見ていたので,ご夫君に「あんた,ほんま戦争好きやなあ」と呆れたように言われた.いや,戦争が好きなわけではない.軍人にせよ旧皇族にせよ華族にせよ,ほんの六十数年前は日本を代表するセレブリティとして崇められていたのに,戦後ほとんど抹殺されたような存在たちが,一体どういう人たちで,一体どういう生き方をしていたのかを,単純に知りたいだけなのだ.確かに彼らは(現在の)日本では歴史上の汚点なのかもしれない.しかし,決して単にそれだけではないはずなのである.
そして最終日.
午前中は単回帰分析と正規分布+標準得点の話をして,午後はテスト.回収して,簡単に解答解説して,15時前にさくさく終了.もうシラバスの範囲で教えていないことはない…はずなので,社会調査士認定機構に睨まれることもないだろう.
入道雲がにょきにょきわきたつのを横目に見ながら,一路西へ西へと進路を取り,本務校へ.明日から事務が一斉休暇に入るため,成績提出と郵便物の回収をするためである.業務が完了して,ようやく本当に前期が終わった.
暦の上では,もう秋である.
お昼休みのおしゃべりの時に,元ボスD先生に
「水曜どうでしょう」ご存じですか?
と聞いてみた.もちろん知っておられた.子どもさんたちがファンなのをきっかけに知られたそうだが,ちゃんと「大泉洋は北海道弁丸出しのただのもじゃもじゃだと思っていたら,「ハケンの品格」では随分いい役やって.いやああれは出世したもんだ」などときっちりその後もフォローしておられるのだった.むむ,これはいける,と思わず白石区と厚別区の話で盛り上がってしまったのだった.
コタキナバルでシュノーケリングをしていた時に,ちょっと慌てて珊瑚礁の上で膝をついてしまった.当然固くでこぼこしていたので「あいてて,あいてて」となり,その場では膝小僧に数カ所血がにじんでいるくらいの怪我になった.そのままほったらかしていたのだが,どうも完治しない.しばらくは赤く腫れて痛がゆい状態が続き,今はそれはおさまったが,まだぼこぼことした突起は引っ込まないでいる.
これはひょっとして膝から珊瑚が生えてくるのかも,と思って調べてみたら,毒を噴射されていたのかもしれないことが分かった.へえ,そうなんだ…
朝からまめまめしく作業して,自分の担当章チェックと,他の著者から送られてきた第3稿のチェックを完了させた.今日は荷造りせなならんのだ.でも昼前に帰国したご夫君と一緒に昼寝してしまったのだ.そして目が覚めてからも思わず熱心に高大連携出張の準備をしてしまったのだ.うきゃ.
結局荷造りは夕方から夜.といっても私は手回り品と衣類さえ詰めれば後はこびとさんがやってくれるし,しかもこびとさんは今日海外から帰国したばかりとあって,から大した手間ではないのだった♪
豚細切れとキャベツとキムチの炒め物 千切りキャベツと薄切りきゅうりに塩して絞ったもの かぼちゃの直かつお煮 ほうれん草のからし醤油あえ なすの即席漬け キャベツと大根のみそ汁 ごはん
つまり肉は豚こまがちょっぴりしか残っておらず,キャベツ半分が丸ごと残っていたわけですね.
私は行進好き人間だ.高校野球の開会式は毎回見ては涙しているし,衛兵交代式は好きだし,マーチングバンドが街を練り歩いている(欧州ではよくある)と我を忘れて追いかけてしまう.
しかし最近のオリンピック開会式の入場行進はちっとも面白くない.みんなだらだら歩いているし,ビデオカメラをぶら下げ携帯で話しながら旗も振りつつ千鳥足のおじさんもいる.そもそも音楽が2拍子じゃないし.日本選手団は40年前のJALのスチュワーデスみたいな格好だし.
4時過ぎ起床、5時過ぎから7時前まで二度寝。
ビーチサイドのレストランで朝食。朝食だけ食べに来る客もいるらしく、オープン前から行列の賑わい。一番ビーチに近いテーブルは開店直後に満席になった。待ってる間に知らないおばさん(日本人ではない)が「あんた、クーポン持ってる?え?朝食券持ってる?そんなのよりこっちが全然お得よ〜、なんたって50%オフなのよ〜」と自分でもぎったフリーペーパーの割引券を分けてくれた。関西人テイストである。
10時過ぎにチェックアウト。レンタカー返却スポットはネイバーに移動するのであろう人々で満員。空港のチェックインカウンターも同じだったらどうしようかと思ったが、こちらはすいていた。昨年あえなくつぶれたアロハ航空にはもう乗れないので、今回はハワイアン航空でカフルイへ。
ここ数日は昼の暑さは相変わらずだが,朝は幾分しのぎやすい.
そんな朝の6時過ぎから某高槻M君の「おうちカウンセリング」に付き合った後,特に何をしたいわけでもないけどおいしいものでも食べに遠出するか,とドライブに出発.今日の目的地は奈良・榛原の蕎麦屋さん.榛原といってもちっともピンと来ないが,今は市町村合併で宇陀市というところで,天理の東にあるらしい.
近畿道〜西名阪道〜名阪国道と経由して1時間半,iPhoneGPS+GoogleMap頼りで,最後に店の前を通り過ぎて5キロほど山奥に行ってしまった以外は特に迷うことなく現地「一如庵」に到着.店主の実家である古民家を改築した店で,ふすまを外して開け放たれた和室×4+広縁にテーブルが配されており,古き良き日本という感じだった.メニューは「かけ」「もり」そして精進料理の「一の膳」あたりが前日までの予約なしで食べられるらしく,私たちはそのうち「一の膳」をいただいた.先付・前菜・もりそば(十割)・玄米ご飯とお汁という内容で,特にアボガドにあおさを載せたのとミョウガのにぎり寿司がおいしかった.アボガドもミョウガも癖のある野菜なのに,まったくそれを感じさせないところがよかった.蕎麦は少し緑がかかった色でとても細い.おいしくはあったけど,ちょっと細すぎて私には頼りない感じ.蕎麦というより素麺?という気になってしまった.もりだから敢えてそうしているのかもしれないし,単品でなら味わえることもあるらしい(今日は予約分で捌けてしまっていたようだった)手挽きのを食べていたら印象がまた違ったのかもしれないが,私はもう少し力強いのが好き.玄米ご飯は小豆と一緒に圧力鍋で炊いた玄米を4日ほどかき混ぜながら蒸らしたものなのだそうで,なるほどモチモチしてちまきの中身のようだった.
雰囲気もコミで悪くない店だし,絶賛する人がいるのも分かるが,私の心の蕎麦屋ランキングに並べると,5指には入らないかな,くらいであった.
早引けして夕方に阪大歯.その前に所用を済ませるタイミングが若干早かったので30分弱早着し,30分待たされたので結局待合室には1時間ほどいたらしい.しかしお持ち帰りにしていた審査系のお仕事×2を両方完済することができたので,かえって待たされ得だったといえよう.
担当医師は一目見て「あ,腫れひきましたね〜」とのこと.そりゃそうだ.平常時比+3SDも腫れていたのが元に戻ったのだから.口が開きにくかったのは縫っていてひきつれていたせいも大きいようだ.ピン,ピン,と4本引き抜いて抜糸完了.「ほんまにこれだけでええんか?」「4つって書いてあるから4つ抜いた」というやりとりに若干不安を感じたが,当日も4針縫ったと言われた覚えがあるので,多分大丈夫だろう.
診療が終わったら17時を過ぎていて時間外扱いになり,支払いを済ませることができなかった.後日請求が来て払いに行くか銀行振込かしなければならないらしい.いかにも「公務」組織な扱いであった.
朝,寝室(ずっとエアコンをかけている)から出て驚いた.涼しい.昨日までのむわんとした温いというより暑い空気感とはまったく違う,さわやかな朝.立秋記念なのだろうか.久しぶりに熱帯夜ではなかったらしい.
しかし日中はまだまだ遠慮会釈なく気温が上昇する.そんな中午前中は戸部ちゃんの実験に協力してくださる西宮市のシルバー人材センターの方にお見えいただき,実験内容の説明やトレーニングなど.シルバーさん(とわれわれは呼んでいる)は,学科の動物実験施設での業務補助などもなさってくださっていて,実は大いに使いでのある人材がいらっしゃるのだ.このたびご協力くださるお二方はいずれも古稀を少し越えた,ちょうど私の両親と同じ世代の男性だが,挙措動作やコミュニケーションスタイルに共通点があって楽しい.
午後は早々に大学を離脱して関大高槻キャンパスへ行き高槻M君と科研研究の打ち合わせ.ようやく尻に火がついてきた二人である.高槻キャンパスは今このサイトで調べたところ標高が206メートルで,私が普段いるところより高いところにある(大学は58m,自宅は15m)のだが,その違いを非常に顕著に感じた.鳴いているセミの種類が違うのだ.高槻キャンパスではヒグラシとミンミンゼミが鳴いていた… この2種類のセミは私にとって「涼しいところでしか鳴かない」という認識なので,どれだけこの地が清涼なところにあるかというのがよく分かる.うらやましい…山奥だけど.
今日のうちに羽田まで移動し、明日の早朝便でロンドンまでのフライト。時間的なゆとりはあるにはあったが、荷造りがちゃんとできていない(着替えばっかりはハワイ行きそのままというわけにはいかない。さすがに気温が違いすぎる)のと、下手に研究室に行くとずるずる居残ってしまって最後にバタバタ駆け回る、ということになるのが嫌だったので、自宅書斎で仕事。起きてみたら降って湧いていた書類仕事に対応したり、学会の仕事をしたり。
荷造りを終え、特に何をする意欲も湧かずに本などぱらぱらめくりながらぼんやりと時を過ごしていた夕方、そろそろ本格的に出かける準備をしなくてはと思っていたところに緊急地震速報が鳴り響いたのには驚いた。書斎にいてテレビをつけていて、アラーム代わりにiPhoneも持っていた(普段自宅にいるとき、iPhoneはたいていリビングで充電器につながっていて、手元にない)ので、両者がぐわんぐわんと強烈な警報音を発したのだから。で、私の反応はというと、とりあえず、身構えはした。前回の緊急地震速報は阪大病院に入院中のベッドの中、早朝だったからいかんともしがたかったが、そのときの経験上速報が鳴るか鳴らずかのうちに揺れは来る、と思っていたので、身構えたのは10秒くらい。机の下に隠れよう、というようなアイディアは思い浮かばなかった。それは、周りにたまたまソファに座っていて周りに倒れてきそうな家具などなかったからか、それとも的確な緊急避難行動が身についていないのか。若干身構え体勢を解いたその後もさらに10秒くらい動かずにいただろうか。そしてその後おもむろにツイッターのタイムラインを更新した。どうやら、どこも揺れていない。地震をはじめとする天変地異の状況を把握するのに何が役立つって現況ではツイッターの右に出るものはない。
結局「誤報」だったことに安堵しつつ、出立の準備。19時過ぎに父に最寄りのモノレール駅まで送ってもらい、伊丹空港へ。駅のホームやモノレール車中から茨木弁天の花火大会がよく見えた。20時20分のフライト(ただし、20分ほど遅延)で羽田へ。大阪と変わらず蒸し暑い。シャトルバスでホテルJALシティ羽田東京にたどり着いたのが22時30分頃だったろうか。眠くて眠くてたまらかった。一泊。
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