横つながりの「同じ領域の先輩」に関しては親しさや上下関係のレベルの変化によって「先生」を敢えてつけないようにすることもあるけれど、現役で指導を受けている人や直系の上司だった人にはいつまで経っても「先生」以外はつけないと思う。私にとって「様」は「さん」の敬称であって、それ以外のなにものでもないから、「先生」とお呼びしている人に対してそれを使うのは適切ではないような感覚がある(逆に言えば「さん」とお呼びしている人にわざわざ「先生」とつけるのは、ひどく公的な場合か、本当に慇懃無礼を目指している時だけだ)からだ。
しっかしこの感覚、普段自分の指導教官を「**ポン」とか「***」とか呼んでいる学生には、通じないかもしれないなあ。
敬称、実は医学系ではもっとすごい。「なんたら先生ゴキカ」と書いてくるらしいからな。古式ゆかしすぎてかえって慇懃無礼だと思うのは私だけか。
午前休のつもりが、だんだんだるくなってきて結局お休み。Petty & Cacioppoの精緻化見込みモデル(いつも思うがこの訳は非常に格好悪いと思う。でもまあ、無理矢理日本語にする場合に映画みたいにとんでもなくかけ離れた用語にするわけにもいかないから、仕方がないのだろう)論文を読みながら、昼寝をしているうちに、頭も痛くなってきて、よくある「よくない休日の過ごし方」になってしまった。
了解です。なお、明日の朝7時からもやりますが、来ますか(笑 日曜日は私の自主トレです。誰が来るのも拒んでいませんが、誰からも来るのを拒まれるだけ^^;
阪神が勝ったのはもちろんうれしいが,情けなさ際立つオリックス(実は来年からの勤め先はここと提携しているのだ。地元だからな)にも注目したい。ここの弱さは横浜銀行の比ではない。毎日毎日飽きもせず大量点を奪い取られている炎上投手陣は悲しくも美しい。昨日もザッピング途中にサンテレビを見たら3−2っで勝っていたのに、ご夫君によれば,
「いや、絶対この後逆転されるって!」
とのこと。そんなもんかと思っていたら本当にその直後に10点取られて試合を台無しにしていた。逆転のされ方が豪快すぎ。レオン監督は毎回青ざめ…ているかどうか表情からは読みとりにくいが「恥ずかしい」とコメントしている。水増し観客の前での毎度の恥辱プレイ、つらかろうねえ。
オリックスにせよ横浜銀行にせよ、主力を大リーグに抜かれたチームが気の毒なほど弱体化している。
と、いうことは…(ニヤリ)
一日ご夫君とじゃれて遊んでいた.
今日から生活を通常モードに戻すため,強引に12時にテレビを消して寝た.ご夫君は何度か起きていたようだが,ここで起きては元も子もないと頑張って寝た.そしたら,体操男子団体金メダルとフジモンのHRという,そう何度も見られない(前者はモントリオール五輪で見たのだと思うがほとんど記憶なし)貴重なシーンを見逃した orz
フジモンは去年の後半からあのバッティングができるようになって伸びたよね.なんで二岡じゃないんだとか何とか,なんだか代表チームの「ごまめ」扱いだったけれど,これで少しは変わるんじゃないだろうか.
オーストラリアチームではジェフがちょっとだけ投げたようだ.阪神はアンドとフジモン「しか」出してないとよく言われるが,押さえの大黒柱のジェフを出していることをお忘れにならないでいただきたい(なお,台湾代表に林も出しているので,代表選手は合計4人).
休暇明けは授業準備あたりのマイルドな仕事から始めてみる.後期の「現代の社会II」は少人数授業を想定して,メディア・リテラシー系のワークショップ的な内容を構想していたのだが,どうやら受講者はそう減らなさそうなので,改めて仕切り直し.メディア・コミュニケーション系の概論になりそうだ.レクチャー一辺倒の講義はあまり好きじゃないのだが,受講生がン百人とかになるとそうも言っていられない.数に任せてまたちょっとデータなど取ってみたいところ.
専修大学ネットワーク情報学部三年次演習科目「プロジェクトI」のみなさんが実施しているアンケート調査です.2004/9/4までの実施だそうです.
男子体操は11時からのBS再放送をしっかり録画.この張りつめた空気を夜明けに味わったらそりゃあ興奮して寝付けまい.13時過ぎからの地上は再放送はハイビジョン中継の方の実況+解説だったのでちとバージョンが違うが,放映している中身はBS再放送より詳しそうだった.と言ってもこちらは仕事しながら音声だけ聴いたのであるが.
しかしやはりNHKスポーツアナは基本が違うのだろうか.民放アナの民度の低さと比べると.
それ以外にも民放はCMの多さ,一区切りするたびにスタジオに戻ってわけのわからないトーク等々と,観戦する楽しみを削ぐことこの上ない.テレビというメディアは着々と制作者ら自身の手によって破滅に向かっている,そんな感覚が強まる作りだ.それともこれが「大衆」に受ける手法だとでもいうのだろうか? …と,説教好きな中年親父か日刊ゲンダイのようなことを言ってみる.
いやだから,基本的にはBS見てるんですが,寝室のテレビにはBSチューナーがついていないんですよ.意志的に寝るためには寝室にこもらないとね.
夕方は長い間雷が轟き,また強い雨が降った.ちょうどご夫君の帰宅は一番激しい雨の時と重なり,気の毒にもびしょ濡れになっていた.
その後一度だけだが近所に激しい落雷があって瞬停が.サーバにつないだUPSが初めてその役割を果たしたかもしれない(少なくともピーというブザーは鳴った)瞬間だった.
8時半頃無事帰国.バスの時間が合わず関空で1時間つぶした後,11時前に帰宅.日本は蒸し暑い!でも今日は日が陰っているせいか,自宅にはあまり熱がこもっていなくてちょっとうれしかった.
とりあえず寝る.
午後いっぱい寝る.つまり欧州時間の夜だ.あはは.そして鰻丼を食す.
ミュンヘンから一路アウトバーンを南下してドイツアルプス方面へ.ガルミッシュパルテンキルヘン(昔の冬季五輪会場;ヒトラーがオリンピックがやりたいがためにガルミッシュとパルテンキルヘンという街を合併しちゃったそうだ)に向かった.途中まで順調に飛ばしていたのだが,アウトバーンから一般道に降りるところで,車線が減るのと合流するのと信号があるのとで大渋滞.30分ほどタイムロスをした.今日はとてもよく晴れていて,アルプスはくっきり眺めることができた.それだけに,観光客も押し寄せていたのだろう.
ガルミッシュの街中はショートカットしてドイツ最高峰に登れるロープウェー乗り場近くまで車で行き,アイプゼーのほとりにある駐車場に車を停めた.が,そのときにトラブル発生.再始動しようと思ったらエンジンがかからないのだ.いつものようにカードキーを挿してスタートボタンを押してもうんともすんともいわない.なぜ?なぜ?と何度も試すがダメ.ミュンヘン市内ならともかくここでトラブルは大変だ.仕方なくレンタカー業者に電話して,レスキューを依頼.対応してくれたのはご夫君だが,とりあえず向こうも英語を解さないことはなかったようで(何度も「そっちにドイツ語の分かる人間はいないのか」と言われたそうだからお互い片言状態だったのだろうが),現在地を伝えて待ちモードに.ひょっとしてこのまま帰れなかったらどうしよう,と不安はよぎるが,かといってどうしようもない.まさか車を置いて観光に出るわけにもいかないから,もぐもぐと弁当(といってもふりかけごはん)を食べ,ロープウェー乗り場で膝を抱えてレスキューを待つ二人である.
1時間ほど待ったところで携帯に連絡があり,レスキューのおじさん到着.早速見てもらうと…全然問題なくエンジンはかかった.どうやらハンドルがロック状態になってしまっていて,それを解除しないとエンジンはスタートできないことになっていたらしい.なーんだ,そういうことか.分かってみれば実にしょうもないことだが,乗り慣れていない車のことで,これまで1週間同じ状態になったことがなかったので,分からないときは分からないものだ.ほっと一安心.保険に入っているので費用もかからなかった.
というわけで気を取り直してロープウェーに乗ろう,でもよかったのだろうが,なんだか二人ともそうする気をなくしてしまって,結局そのまま現地を後にすることになったのだった.実によい天気だったので惜しい気はするが,まあ,次の機会を待つことにしよう.
その後はアルプスの麓を走り抜け,まるで県境のような看板1つしかないドイツ−オーストリア国境を越えたりしながら,フュッセンを経由して観光の名所ノイシュバンシュタイン城へ.こちらはイメージ的にピーカンの空はあまり似合わない気もする.一応車を停めて麓をうろうろしたが,すごい観光客の数なのと,これまでに痛感している
城はどこに行っても城でしかない
ことを考え,山を登って城に行くのはやめた.
その後は「ロマンティック街道」を走り抜けてミュンヘンへ.そこここに「ロマンティック街道」という看板が立っているのだが,ドイツ語と共に必ず日本語が併記してあった.アルプスの麓のなだらかな平野に,かわいい(おそらく,ロマンティックな)街が点在している.天気がよかったこともあり,ただ走り抜けるだけでも,穏やかな,気分のいいドライブになった.ひどく田舎でもなく,ひどくグループ観光ずれしてもいない,いいところそうだ.今度来るときは,こういう道をゆっくり走ってみるのもよいかもしれない.今回の旅行で痛感したが,もう大都市やいわゆる「観光地」は特別な目的(例えばコンサートを聴くなど)がなければもうお腹一杯だ.
18時過ぎに総計1800km以上を走り抜けてミュンヘン空港に到着.レンタカーを返して,さあ帰りましょうとAFのチェックインカウンターに行ってみると,
「20:45のフライトはキャンセルになった」
との冷たいお言葉.がーん.もう一つ前のフライト(無事飛んでいた)にしておけばよかった,と思っても後の祭り.他の難民化した人々と共に向かい側のカウンターに並んで別のフライトへの振り替えを交渉する羽目に.その顛末は後述のとおりで,空港ホテルをとってもらい,翌朝便に振替になったわけだ.我々の他に少なくとももう一組は日本人夫婦がいたが,彼らはどうなっただろうか.早く帰りたいと言っていたから,ジャングハイ行きのLHに乗せてもらえたのだろうか.こういうときにチケットの種類によって扱いが違うのかどうかは,実験していないのでよく分からない.ともあれ,車は問題なかったが,結局足止めを喰らうことになったのだった.
ドライブを楽しんでミュンヘン空港に来てみたら,乗る予定だったAFのパリ行き20:45のフライトがキャンセルになっていた.カウンターで示されたチョイスは2つ.
1)21:15のLFで上海に行き,そこからエアチャイナで成田
2)明朝10:10のAFでパリに行き,そこからAFで成田
当然2)を選ぶと帰るのが半日遅くなる.しかし,(途中削除)だし,どうせ羽田で1泊して戻る予定だったので,こちらを選択.もちろんミュンヘンで宿泊することになるわけだが,費用はAF持ちである.タミを出てすぐの空港ホテルのまあ広めのダブルをとってくれたので,いいことにしよう.
先に示されたのは選択肢2)だったのだが,その後思い立ったようにAFカウンターの男性が
「今日のフライトでジャングハイに行く手もあるぞ」
と言い出したときは,一瞬ジャングハイとはどこなのだ,我々にどこに行けという意味なのか,と大変混乱した.上海だと分かった後に「だーれが上海!だーれが南回り!だーれがエアチャイナ!」とドン引きして「ここで泊まる!」と答えたら good choice と言われたさ.
AFがとってくれたのは,Hotel Kempinskiといってミュンヘン空港のターミナルと直結している唯一のホテルで,空港からカートを押してそのままウォークインすることができるのみならず,部屋までカートを入れてもかまわないというところだった.部屋は当然味気ないが,それなりに広いダブルルームだったので十分許せる範囲である.羽田で泊まる予定だったエクセル東急も,ノーチャージでキャンセルすることができた.
愛知淑徳大学・斎藤和志先生がブログ・世間流宮別館でさまざまなエピソードを書いておられることを知る.切れ切れに聞いていたエピソードが少しだけつながって理解できた気がした.だからと言って何が変わるというわけではないのだけれど.
ぐっすり休んで6時半起床.残念ながら湖には霧が立ち,周囲の山々も霞んでいる.そして寒い.おそらく日本の1/3程度の気温しかないものと思われる.さすがに今朝は湖を泳ぐ人はいなさそうだ.しかし滞在中にとてもいい天気も体験できたのだからよしということにしよう.今日はザルツブルグに移動し,夜はザルツブルグ音楽祭に出演するバイエルン放響@ヤンソンスを鑑賞する予定だ.しかしホテルのチェックインまでにかなりの時間があるので,何かアクティビティを入れたいが,この天候では,さてさて…
朝食(今日は巨大オムレツと戦うのをやめ,おとなしく目玉2個のフライドエッグにした)後,チェックアウト11時のぎりぎりまでホテルに滞在.ホテルの周囲はほとんど不気味なまでに静かである.天候に無関係にせかせかと観光地を回らざるを得ないツアー客以外は,静かな朝を過ごしているのだろう.うらやましいことだ.
旅行中にユーロがダダ下がりしてますなあ.
欧州滞在中,という一面的に見るとこれ以上いいことはありません.しかし案外カードが使えないところが多いんですねえこれが.
ちっとも行くつもりのなかったザルツブルグ某所に行こうかという気がむくむくと…(笑
基本的に雨.ザンクトギルゲンとフシュルを経由して,フシュルでは一瞬明るくなったので湖の写真を撮り,ベンチに座っておにぎりを食べるも,また雨になったので退散.
ザルツブルグまで戻ったものの,まだホテルのチェックインまで時間があるので通り越して近郊のAnifまで行ってカラヤンのお墓参りをした.幸い,このサイトを保存して行ったので,教会を探すのにやや手間取ったものの,たどり着いてからはまったく迷わずお墓を見つけることができた.教会の手前の通りはヘルベルト・フォン・カラヤン通りといい,カラヤンの生家邸宅(生家はザルツブルグにあった)があるわけだが,どうやら後で調べてみるとムーティさんのおうち(多分生家だろうが…なわけないか.イタリア人だもんな.っていうことは住んでる???→別荘らしい)もあったようだ.
新市街ミラベル庭園そばのCrowne Plazaにチェックイン.まあ味気のない普通のホテルだが仕方がない.そもそもこの音楽祭の時期にザルツブルグに1泊しかしないという行為自体が味気ないため,普通によいホテルは泊まらせてくれないのである.
まだ小雨模様だが,コンサートまでまだ随分時間があるので周辺の町歩きに.去年は旧市街に泊まり,新市街は車で通っただけだったので,今日は新市街のミラベル庭園をうろうろ.しかし周囲の風景を入れ込んだ写真を撮るには天気が悪すぎる.というわけで花を中心に.その後は旧市街に行き,後でまた来る祝祭劇場近辺とゲトライトガッセ(目抜き通り)を散策.ゲトライトガッセ最奥,ヴィトンの前あたりに K&K&k 一家が音楽祭期間中に滞在しているアパートがあり,「おお,ここにキティがいるのか〜」と思いながら,階下のアイスクリームやで,おすすめのバタークッキーとMohnフレーバーのアイスを食べた.Mohnは私の食べる限りココナッツの味がした.その後は適当に見つけた民族衣装の店で,ご母君お言いつけの木綿のハンカチーフを購入.ちなみに「ハンカチーフはあるか」と聞いたら通じず,ご夫君のそれを見せて納得してもらった.何と言えばよかったのだろうか.
クラシックのCDが欲しいと思い,うろうろするが祝祭劇場のショップとゲトライトガッセの楽器店にほんのちょっぴり置いてある以外は見つからず.ネットで探索してもあまりめぼしい情報は見つからない.ここは「音楽はライブで」が基本の街なのだろうか.音楽祭期間中くらい特設で店を出せば,儲かりそうなものなのになあ…
一旦ホテルに戻って着替え,再び19時過ぎに出かける.祝祭劇場に行く前に腹ごしらえを,というわけで新市街ホテルザッハー近くのロジにあるHappy Chineseへ.中国人や日本人の旅行者が多くいた.白菜とキクラゲの炒め物と野菜チャーハンを食する.やっぱり中華は安心できる味がする.ここは小澤征爾ごひいきのお店だそうで,廊下に写真パネルが飾られていた.
去年に引き続き今年もザルツブルグ音楽祭を聴きに行く.去年はウィーンフィル@ムーティでマチネだったが,今年はゲストオーケストラのバイエルン放響@ヤンソンスでソワレである.席は前よりもよいセンターの前から4列目.曲目はオネゲルの交響曲第3番「典礼風」とベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付」の2曲.オペラではないがソワレだし,ものすごくみんな盛装していたらどうしよう,と思ったのだが,幸い私たちの風体(ご夫君は夏用のブラックスーツ,私はワンピースに麻のジャケット)でも浮くようなことはなかった.
オネゲルはまったく予習なしで行ったのだが,現代風な曲想の中にも深みのある表現満載で気に入った.ヤンソンスがコンセルトヘボウと録音しているようなのでまた入手しようと思う.ちなみに,この曲は61年前の今日が初演(チューリッヒにて,指揮ミンシュ)だったという縁もあって選ばれたようだった.
第九はまあお馴染みの,という感じではあったが,やはりヤンソンスらしい重厚かつ壮麗な表現で聴かせてくれた.特に合唱団がよく頑張っていた.というか,実はライブで「ドイツ人がドイツ語で歌う」第九を聴いたのは初めてなのだが,彼らにしてみれば(当たり前だが)ネイティブの言語で歌っているわけで,日本人がある意味「口まね」で歌うのとは表現力が違うというのを実感した.また,ソロバリトンのThomas Quasthoffという人を私は寡聞にして知らなかったのだが,サリドマイド障害を持っていて,手は肩からすぐのところについていて指は欠損しているし,足もとても短い.それでも大変素晴らしい声量の歌を聴かせてくれて,正直とても驚いた.声楽という,まさに体全体を使う行為をあの体で成し遂げるというのは,すごいことだと思う.
このコンビに次お目にかかるのは,この11月,大阪である.チェロの首席がとてもかっこよかった(コンサートがはねた後,ふつーに私服で祝祭劇場から出てきたのを見るとものすごくその辺のおにーちゃんになっていたのがまたよかった)ので,是非来日してもらいたいものだ.しばらく出待ちをし,ほとんどのオケメンバーとソリストたちを見送るも,遂にマリスを待ちきれず日付が変わってしまったのでホテルに戻った.
朝はビバリーヒルズの高級住宅街をぐるっと流す.そこここでStar Mapという「ここがセレブの豪邸だよ」案内図を売っているのだが,セレブ度が高い人の家ほど当然要塞のように中が伺えないようになっているからあまり意味はないかもしれない.私たちはそれぞれ好みの有名人の住所をあらかじめネットで調べておいてそれだけチェック.ご夫君はジュリア・ロバーツで,私はスティーブ・マーティンである.後は「ふーん,確かに豪邸ばかりだ」という雰囲気を楽しんだ.それぞれ思い思いの「かけられるだけの金をかけた私にとってのゆめのおうち」を建てているので当然統一感などまったくないのだが,緑が濃く,またそれぞれの区画が広いので,日本の新興住宅地と違ってあまり気にならない.その後UCLAキャンパス内をぐるっと回ってからLAXへ.
LAX−NRTは特にどうということもなく無事帰国.帰りは行きより1つ新しいシートだったのだが,あまり使い勝手はよくなく,またシートは微妙にフラットにならないCと同等のものだったので,また寝ながらずり落ちてしまった.見た目はきれいなんだけどねえ.しかし機内で炊き立てのこしひかりのご飯はうまいよ.サービスも案外ねっとりしてなくてよかった.
帰りも羽田−神戸便しか予約できていなかったのだが,無事成田−伊丹に変更できた.普通席しか空いていなかったが,プレミアムエコノミーのシートに座れるらしい.今まで座ったことのないカテゴリーなのでちょっとだけ楽しみ.
プレミアムエコノミーのシートは,足置きがだいぶ上げられるので楽と言えば楽かもしれない,くらいのものだった.まあエコノミーだし仕方がない.
自宅には21時過ぎ着.幸い涼しい夜であった.
とりあえず終わった。よかったよかった。コンビーナの札幌M君はじめ関係者の皆様お疲れ様でした。
というわけで解放感に満ち足りた日本からの参加組一同で今からビーチウォークのRoy'sでお食事会♪
Roy'sまではコンドから歩いていった。ダンダンと早足で歩いて20分、ゆっくりだと30分といったところで、これがワイキキビーチの端から端の距離と思えばよいだろう。参加者は今日あった2つのシンポの登壇者8名とそれぞれの連れ3名の合計11名だった。料理はこばちとシェアで、地鶏の春巻・有機野菜のサラダ・今日の鮮魚(マヒマヒと似て非なるものらしい)のポアレ・フォンダンショコラであった。どれも半量だったので田部切れたが、さすがに普通のポーションは男性でもきつそうだった。フォンダンショコラはとてもおいしかったが、一言で表現すれば、
凶悪
だった。チョコのエキスがまず脳天を、そして指先までの全身を駆け巡った。たまには悪食もいいものですな。
その後は歩いて10分ほどのモアナサーフライダーまで戻ってビーチバーで二次会。運よくオーシャンサイドの席が取れたので、波の音を聴き涼しい風に吹かれながらの楽しいひと時を過ごすことができた。
さらに帰りは残りの10分を歩きながらマーティンマッカーサーやABCにお立ち寄り。私のお気に入りな前者をこばちと貴公子君に紹介したのであった。
コンドに戻ってからもさらにおしゃべりをして、1時頃就寝。たまには夜更かしもいいものですな。
帰りはアムステルダムからKLMの関空直行便。お土産にデルフト陶器のギルドの置物をくれた。裏に番号が振ってあるのでたくさんあるんだろうと調べてみると88種類もあるらしい(Twitter情報によるとNo.90もあるそうなので,さらに増えているのかもしれない).しかも実は中にはリキュールが入っているらしい.道理で栓がしてある.全種類揃えたら,超上級顧客だな.
午前:カサミラ,カサバトリョ,なんちゃら公園,ピカソ美術館,カテドラル,サンジョゼップ市場
午後:カンプノウ(博物館+内部ツアー+ショップ),TOUSめぐり
夜:カンプノウ(スーペルコパのエル・クラシコ観戦;両チームゴール乱れ打ちの上に乱闘まで見られる面白さw)→2時帰投
いよいよアイスランドを離れてロンドン1泊を経由して帰国の途に就く.いつものように5時前に起床し,朝食(今日は残品処理につき簡素にホットケーキとりんごとカフェオレ)とランチ(ハムチーズエッグバーガー)を製造.ちちんぷいぷいを見ながら昨日の日記を書き,荷物のパッキング.持って来た食料はパスタを1食分くらい残してほぼ使い切ったが,そのスペースは新たに買ったものが埋めるという仕組みである.
フライトは16時頃なので空港には14時頃に着けばよく,時間はたっぷりある.当初は買い物をしようかと言っていたのだが,考えてみればもう大して買いたいものはない.街中では免税金額を気にしないといけないのが面倒だから,免税店で買うので十分だよね,ということであっさりその計画は中止して,再度ゴールデンサークル方面に出かけることにした.ちなみに現在のアイスランドでは消費税が25%近く課税されているのだそうで,5000アイスランドクローナ以上の買い物で免税書類を発行してもらえる.日本円だと4000円くらいか.また,他の欧州諸国と比べると酒類の高さは際立っている.が,日本も相当なレベルなのでそれと比べればそれほど高いわけではない,というくらい.
さて最後のドライブ.行きにゲイシールだけは立ち寄ったが,道中も含めて雨が降っていたので,晴れている状況でもう一度,ということになった.というかレイキャビクから手軽に行けるところといえば他にもう選択肢はないだろう.そして今度はさらに10キロ先のグトルフォスGullfossまで足を伸ばしてみた.遠くにはヴァトナ氷河をいただく内陸部が見える.前回の旅行ではそのままあっちに突っ込んでいったのだったと懐かしく思い出す.グトルフォスの雄大さは相変わらずであった.前回は初めて立ち寄った滝がグトルフォスだったので,間近に行くとどの程度濡れるのかが想像できず,ゴアテックスの上下を着込んで昨日のグリーンランド以上の,あるいは2日目の雨天時並みの重装備で出かけたのだったが,そんなものはいらない,と学習した今は長袖シャツにカーディガンという超軽装で滝のすぐそばまで歩いて行った.滝からの水しぶき(かっこよく言えば,ミスト)を全身に浴びることにはなるが,晴れているし気温は15度以上あるのでまったく寒くなかった.雨の日とは大違いである.
もう一度ゲイシールに立ち寄って間欠泉を観察し,そばのベンチでランチを食べた後,一路空港へ.レイキャビクからケフラヴィークまでの40キロの道のりはとても単調である.ケフラヴィークの街中でガソリンを入れて,なんとか14時頃にレンタカーを返し,ロンドン便のチェックイン.キオスクでセルフチェックインをしたら,預ける荷物用のタグまで自分で貼る形式だった.この後,免税書類にスタンプを捺してもらうのに手間取るのが常なのだが,今回は場所もすぐ見つかりしかも誰も行列しておらず,スムーズに手続きすることができた.その後は免税店でお買い物.ここで初めて日本人に遭遇.みんな国内ではどこに隠れていたのだろうか.ちょっと時間が足らなくて,バラマキ系のお土産を必要十分なだけ買えたかどうかちょっと自信がないが,まあよかろう.そもそも日本人が食べられるような「アイスランド」のお菓子はあまりないのだ.リコリス系のお菓子は何種類もあったけれど,嫌がらせにしかならないし…
というわけで16時10分のフライトでヒースローへ.行きは搭乗してから1時間近く待たされたのでだいぶへばったが,今度は順調に離陸してくれた.ヒースローでは到着したターミナル1から明日の羽田便が出る5までヒースローエクスプレス経由で延々と移動して,エアポートホテルのソフィテルに宿泊.ヒースローと言えば暗くて汚いという印象が強いが,タミ5は新しいのでそこそこいい感じ.ホテルも新しく,これまたそこそこ快適であった.
+8時間の時差調整もあり,この日はほとんどなきがごとし.
チューリヒで羽田までのチケットをチェックインされてしまってがっかりしていたのだが,ヒースローでCクラスラウンジの受付にチケットを出したらなぜか再発行になり,再び手にしたチケットはFクラスのものになっていた.な,なぜだ.わからん…
というわけで去年と同じく帰路がアップグレードされるという事態になり,そうなったらコンコルドルームに行ってイングリッシュブレックファストを食べなきゃいけないよねってことになるわけで.今年も大変おいしゅうございました.この私が一皿完食です.
機内では,前回食事後早々に寝てしまったゆえにやってもらい損ねたベッドメイキングもしっかりしてもらい,食事も好きなものを好きなタイミングで食べて(って2食しかしませんが)ゆっくり休んで5時前に羽田着.ひょっとしてこのチケット,往復いずれか1路線はアップグレード確約というオプションでもついているのだろうか.謎すぎるが,往路より復路の方がありがたいのは間違いない.来年もどこに行くにしてもBAロンドン経由かな…(笑
Before...
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