ご夫君の母上の還暦祝いで、はなの@Westin大阪
この冬一番の寒気とのこと。体調不良、内臓系についてはほぼ治癒したが、今度は寒さにやられやすい腰に来た。ちょっとやばいよね、これは。というわけでばあさんのようによぼよぼしております。
といっても今日休んでいるのは美容院関係者と金杯(を見に行く)関係者だけじゃないかと思うのだが,道はとても空いていた.大学まで20分台で到達したのは多分初めてではないか.
ところで北摂でのお年始のお遣いものの定番はエストサブロンのお菓子と播磨屋の朝日あげと決まっているのだろうか.我が家にもそれら(及び京都のお遣いものの定番・長久堂の上用饅頭)が積み重ねられている.ちなみにエストサブロンの焼き菓子セットは「箱のデザインが悪趣味である」としてご母君(もらったのではなく,買った本人)の痛烈批判を浴びていた.シュークリームとペンギンアイスの店なんだよ,あそこは.それ以上のものを期待しちゃいけない.
夕方,院生連中がシュークリームを買いに行くというのでお相伴させてもらった.やっぱ相変わらずうまい.
今日は新年競馬開催の特異日.東西金杯があるのはもちろんだが,今年はJRA50周年記念ということで「「名馬で振り返る50年」と題し、JRA創立以来の年度代表馬および一部の顕彰馬の馬名を冠した競走を1週あたり1頭を対象にして施行する。」らしい.最初に開催されるのはサクラローレルメモリアル(本日中山9R)である.メジロマックイーンメモリアルはいつどこで開催かな.
調べました.どうやら函館2回4日らしい.つまり7/25だ.行けなくはない時期なので,これを機会に函館初見参(ついでに荻伏にも行ってみる)といきますかい?
流れでJRAのサイトを見ていてびっくり.今年からカブトヤマ記念と愛知杯が父内国産限定競走から牝馬限定競走になる(それに伴いカブトヤマ記念は福島牝馬Sに名称変更も)らしい.そして朝日杯FSは牡牝出走可能に.最近競馬にはとんと疎くなってしまっていたので,まったく知らなかった.かわいそうなカブトヤマ号…この際特別競走でもいいから阪神開催に移してみてはいかが.甲山っちゃあ阪神しょ.
我が家には,10年来のアイドルくんくんさんをはじめとして,熊キャラがいっぱい生息しているのだが,私にとって人生最初の熊アイドルはヤンヤンムウくんだ.たまに話題に出しては
私「ヤンヤンムウくん知ってる?」
夫「知ってる」
私「どうして知ってる?」
夫「あさりんが言うから知ってる」
というやり取りが繰り返されていたので,私も「赤い熊」ということ以外は忘却の彼方にあることだし,この際ちゃんと調べておこうとぐぐってみた.結構ヒットするものだ.NHKおかあさんといっしょのキャラクタだったらしい.年代からして,私が覚えていてご夫君が知らないのは納得できる.この頃まだ私は「人形劇」ではなく「おかあさんといっしょ」世代だった.人形劇で記憶があるのは「笛吹童子」「紅孔雀」あたりからで,ばっちり「プリンプリン物語」世代.リンク先のサイトから聴ける私の愛唱歌「お金持ちクラブ」(真理ヨシコ先生うた)の歌詞から,当時「数の子はとても高かった」ことが分かる.
ヒットはするものの,残念ながら彼(だよね,多分)がどんな熊だったのかという情報はほとんどなかった.でもまあ,ヤンヤンしていたくらいだから,明るい気のいいヤツだったんだろう.ヤンヤンと言えば「ヤンヤン歌うスタジオ」だけど,私は幼い頃TX系のテレビ局がないところで育っていたので,この番組のことはよく知らない.
久しぶりに亡祖父の名前でぐぐる検索をかけてみたら,京大文学部(旧制)の博士号請求者一覧がヒット.金であるはずの文字が全になっている.京大図書館なんとかしてください.
それにしたってこのリスト,有名人が続々ですね.心理学だけに限っても南博先生とか岩原信九郎大先生とか.おお,辻岡先生も広田先生も田中敏隆先生も.辻岡先生の論文タイトルは「印紙分析的研究」になっていて,我が祖父のtypoより悲劇かも.
ついでに「金朝史研究」でぐぐると,なぜか2chの過去スレがヒット.「遼・金(についてものすごく細かいことも語り合えるスレッド)」だそうだ.直リンしたくないので,探したい人は探そう.
外山軍治の『金朝史研究』は金研究の最高峰の一つですね。 賛否は別として引用無く論文を書くのはまず不可能でしょう。
だって.すげーやおじいちゃん.満州まで発掘に行った甲斐があったねえ.私もこういう文脈で登場したいものだ.ちゃんと勉強せなあかん,と正月早々だらけている自分にカツ!だ.
昨日は6時,今日は5時.なんとか調子を取り戻してきた.
6時過ぎからちくちくと情報処理演習Iの準備の続き.試験問題を考え,さらにその試験問題でそれなりに回答できるデータを作るのはなかなか難しい.ノンストップで作業して12時過ぎに終了(試験問題を作り,データを作り,回答用紙を作り,解答解説も作成完了).6時間もかかってどうするんだか… しかし一仕事終えて一服してもまだお昼過ぎ,というのはうれしい限りだ.
その後,現代の社会IIの次回講義資料を作り,情報処理実習IIの試験問題と解答プログラム(2クラス分)を作り,で,現代の社会II最終回の講義資料を作りかけて,時間切れ.我ながら実に逃避行動.
ラジオはラジオ関西(今年から「AM神戸」という略称は使わないそうだ)しか中継しないんだ…
京都金杯には1997年に一度だけ行ったことがある.冷たい雨の中,2着馬(1番人気)ユウトウセイ@塩村の単勝に1万円ぶっこんだ.直後(確か正月競馬明けの3日開催の時だったと思う)の京都競馬で塩村が落馬して,ユウトウセイの手綱はあろうことかこの時の1着馬イシノサンデーに騎乗していた四位の手に.そしては次走京都記念で重賞初勝利を飾ったのだった….ちなみに,翌年落魄したイシノサンデーのラストラン(98安田記念)で彼の手綱を取ったのは塩村でありましたとさ.
特段の理屈をもたずに賭ける馬券に多大な投資をするというのは,通常のコスト−ベネフィット判断とは矛盾した行動である.といっても私は1万円なんて馬券を買ったことは生涯に2度しかなく,多分今後はない.もう1度は1996年のプロキオンステークスの単勝で,リンク先を見れば外したことはわかるだろう(ビッグショウリの母クラフティワイフはやたらと仔出しがよい繁殖で,半弟スパイキュール(父サンデーサイレンス)は,きっと今年のダート戦線を席巻するだろう).ご夫君の最高額(多分,私が知っている限りでは)は10万円で,1994年のマイルチャンピオンシップの馬連だった.当たった.当時私は「こいつわけわからん」と思ったものだ.なぜなら当時まだ競馬法は改正されていなかったからだ.
ついでに.私がまだ「競馬の収支は生涯を通じてプラス」を主張できているのは,このレースの馬連を当てたおかげである.
46歳だと。この問題を作った構成作家はAAが初期マイコンブーム由来の文化だということを知らないのではないだろうか。そのことを考慮すればこの年代でデッドはありえないだろう。あと、起源は「:-)」だとしていたが、AAとエモティコンとごっちゃに扱うのはよくないと思う。
なお,この番組による「デッドエイジ」の定義は「「○○を知っていますか?」と尋ねていき、誰もが「知らない」と答える、『年齢の境界線』(認知度がゼロになる年齢)を出し、その境界線」のことだそうだ.年輩者が知らない「最新の流行」”は『オーバーデッドエイジ』なんだってさ.
丸儲け,というのは表現が悪いかもしれないが,しかし,健康で元気に生きている限りは自分のしたいことやしなければならないことに力を尽くさなければ,そうしたかったのにできなくなった人に申し訳が立たない.という気持ちで(研究室での)仕事始め.
SID2006の参加登録が開始されたよ〜というメイルをいろんな人に送り,今度やる公募関連の書類を整理し,そのうち互礼会状態になって3時間ほど語らい,その時に印象に残ったことと言えば「結婚していることをひた隠しにする男性大学教員は結構たくさんいる」「次々学生に手を出す教員はリビドーに正直である」「女房と畳は若い方が良い」「先生,トライアスロンはその人じゃなくてM先生です.同じカテゴリに入れてましたね」などであった.正月早々,何の話をしてるんだ.その後は公募関係の書類をさらに整理し,あと2回残った社会心理学研究法のスライドを作って,あれこれやっていたら19時を過ぎちゃいましたとさ.
やたら出足が遅い.26日に投函した私のものはどうやらほぼ元日に届いているようなのだが,今日になっても明らかに旧年内に出されたとおぼしき賀状がかなり大量に届いた.差し上げていなかった方(留学していると思って出さなかったら帰ってきていたとか)には今からお返事しなければならぬ.なんとも間の抜けた話だ.26日以降のどこかに臨界点があって,それ以降はもういつ届くか運任せ,というところか.
昨日の夜からずーっと猛烈な風.というかほとんど台風.後で分かったことだがいわゆる「爆弾低気圧」がハワイ諸島を覆っていた(いる?)らしい.朝もShowerというよりRainが降り注ぎ,朝なお暗きといった天候だったので「こりゃ今日はショッピングしかないかなあ」と暗い気持ちながらも,悪天候の中にいても仕方がないので身支度して出発.しかしあまりにも寒いので私はノースリーブワンピに長袖を着用した.このことからも,ハワイにしてはあり得ないほど悪天候だったことが分かるだろう. しかし南に下るにつれて雨はやみ,そればかりか天候は急速に回復し,スターゲイジング&サンライズに行くのはあきらめたハレアカラが頂上までよく晴れているのを見て,
「こりゃ,いかなあかんやろ」
ということでワイレアに行くつもりをあっさり予定変更.グラウンドレベルから一気に3000m超までドライブして山頂へ.そんなつもりは毛頭なく出発したために,ご夫君は半袖シャツと短パンだった.3キロも上昇すれば気温はつるべ落としのごとく下がるわけで,山頂近くでは華氏50度を切っていた.しかし何とか頑張ってうろうろ.2年前にスターゲイジング&サンライズツアーがほとんど無意味だったことのリベンジをちょっとだけ果たした.いくつものクレーターが火口を広げ,キューブリックが「2001年宇宙の旅」の撮影に使ったという「宇宙的」な光景を眼にすることができるが,アイスランドと比べると,まだまだ地球である.とはいえ,海からものの1時間のドライブでこの高峰があるというのはハワイならではの印象的な光景だと言えるだろう.
山を下りてからはワイレア(本当は泊まるはずだったコンドがある場所)のショッピングセンターに行き,本当は泊まるはずだったWailea Eluaを指をくわえて眺め,ショップス・アット・ワイレアのヴィトンでは一昨日ホエラーズビレッジのショップで一目惚れしてしまったスハリの財布(本当は黒が欲しかったが既に廃盤でハワイにはどこにもないことが分かったので,悩んだ末に白)を買ってもらった.ちょっとお高くついたので,クリスマスプレゼントとホワイトデーの合わせ技一本となった. その後は,渋滞に引っかかりつつ,夕陽が落ちるのを眺めながら帰還.コンドに戻るとやっぱり曇天だったが,ぎりぎり夕焼けは鑑賞することができた.
北部ドライブ.ほとんどの地域はアンダーソン空軍基地なので入り込めないが,北端のビーチは最近開放されたらしく,Bumpyな道を進んで到達することができた.きれいなビーチだったがすぐ深くなっていて波が高かったのでスノーケリングはせずに散歩のみ.すぐ砂浜際までジャングルで,そこには蝶が群舞していて(足元には死骸がいっぱいで)私的には大変気味悪かった.
日本軍玉砕の地に建っている慰霊塔も見学.裏の薮の中には総司令官たちが自決した防空壕や井戸等々が残っていた.南無.
7時起床.朝食はマフィンとコーヒーの簡易版.
8時半頃の出発で,今日は北部方面へ.今日はまず島を横断して太平洋側に出てから反時計回りに北半分を一周する.と言っても北部の大部分はアンダーソン空軍基地なので,あまりいろいろと立ち寄れるところがあるわけではない.Yigo(ジーゴ)地区にある日本軍玉砕の地(正確に言うと司令官の小畑中将が1944年8月に自決した防空壕)に建てられた慰霊塔や当該防空壕を見学したりするくらい.こんなジャングルの中で「お国のために」と必死な思いで戦っていた日本人たちがいたと思うと何とも重苦しい気持ちになる.ここ(やサイパン)が陥落したことで日本軍は太平洋での制空権をほぼ失い,硫黄島の玉砕で完全に失ったわけだ.防空壕の前には日本酒やタバコなどが供えられていた.
その後はさらに北上して空軍基地のそばを走り,近年一般に開放されたという島北端のリティディアン岬へ.ここらは戦争中に空爆を受けず,ジャングルがほぼそのまま残された地域だそうで,確かに他と比べても緑濃いところだった.岬からビーチまでも小さなジャングルを通って行くのだが,黒い蝶がたくさんひらひらと舞っていた.蝶嫌いの私にはあまり好ましいことではない.ふと足元を見ると死骸もいっぱい.ひゃあ,参ったなあと思った頃に白砂のビーチに出たが,ここは随分波が荒く,沿岸からすぐ深くなっていそうなので,スノーケリングは断念して散歩のみにとどめる.あまり人が来ていないので,手軽にプライベートビーチ感覚は味わえるようだ.
観光の中心地タモン北端,ホテルニッコーのあたりまで戻って,今度はスノーケリングできそうなビーチへ.ガン・ビーチというニッコーホテル前よりさらに北に行ったところで,日本軍の大砲がビーチの端っこにあった(実際今もまだあった)からその名前がある.ここは思いっきり遠浅で,数十メートル沖に出ても泳ぐのも難しいくらいの水深しかなかった.透明度もやや昨日のビーチには劣るだろうか.しかし魚はいっぱいいて,またもや楽しく水中撮影を満喫.ちょうど人間にとってもランチタイムの時間帯だったが,魚たちにとってもお食事タイムのようで,多くの魚がいかにも「お食事中」な雰囲気であった.ニッコー前のビーチまで流れていって岸に上がってシャワーを借り,後は歩いてガンビーチまで戻った.露天生着替え(笑 の後,ホテルに帰還.
昼食はミートソースドリアもどき(ごはんは固形ブイヨン+塩+コショウを混ぜて炊いていんちきバターライス風).その後,1時間少々昼寝してから「世界最大」を標榜しているらしいKマートへ.まあ大きくはあるけど西宮のコーナンと大して変わらないような.多分Big Kマートは勘定に入れない「最大」なのだろうと思うことにする.
夕食はポークステーキ,マッシュポテト(インスタント),サラダ(サニーレタス+コーン+細長ネギ),みそ汁.そろそろ食材の始末にかかっているので,例えば無理矢理サラダにネギを投入するなどしている.ただ,こちらの長ネギは割合臭みが少ないので特に違和感があるということもなし.デザートのアイスクリームも含めて,今日もおいしくいただきました.
食後は「はねとび」お正月スペシャルのDVDを見てげはげは笑ったり,22時からNHK国際放送で放映された,思いっきりどこかで見たようなプロットの,思いっきり展開がわかりやすすぎるバスケドラマ(岸谷五朗主演;そろそろここで怪我するな,と思ったら本当に数秒後にやらかすので笑えた)を見たりして,23時半に就寝.
お役所が仕事始めということで,転出−転入手続き,印鑑登録,免許証の住所変更等々,平日に出頭しなければ前に進まないことどもを精一杯片付ける.そう考えるのはわれわれだけではないのは当たり前で,市役所は大混雑.午前中に転入手続きをしたら住民票がもらえるのは14時半以降ですと言われ,時間通りに再出頭したらさらに45分待たされた.注意深くゆうちょ銀行の通帳を持ってきていた(そして私にもそうしたらと示唆してくれなかった)ご夫君は市役所敷地内にある郵便局でこちらも住所変更の手続きをしたのだが,これまた20分ほど待たされた.
結局今日も朝から活動開始したのに終わったら暗くなっていた.引っ越しって大変だ.
帰宅後もいろいろなカードの住所変更手続き.オンラインで変更できるようになったのは便利なのだが,IDやパスワードをいちいち記憶していないものも多くて,いや,もちろん管理が悪い私がいけないのだけれど,かえってイライラさせられた.あまりに頻繁,いや煩雑な作業の連続に,Socioeconomic Idendity Crisis状態に陥り,半ばパニックになってべそをかいていたら,
asarinがパニックに陥るなんて珍しいなあ
とご夫君に笑われた.
腰痛で運動ができず,すっかり体重がリバウンドしていると覚悟を決めて久しぶりにWiiボードに乗ったのだが,あにはからんや,クリスマス〜年末にやや増量してしまった分+αくらい減っていた.再び頑張る意欲がわいてきた.
昨日のアシュケナージ→マーツェル変換に続き,今朝はGoogle日本語に笑わせてもらった.昨年なかなかお目にかかる機会がなかった知人からの年賀メイルへの返信で,
ことしこそはおめにかかれればとおもっています
と入力→変換し,続きの文章を書きつつふと戻って読み直すと,
来年こそはお目にかかれればと思っています
になっていた.思わず我が手と我が目を疑う.が,打ち間違いでも見間違いでもない.な,なぜ「ことし」が「来年」に.「どうせそんなこと書いても実際のところお目にかかる具体的な算段なんかせえへんやろ」と嘲笑されているような気分になった.しかもそれが事実といえばそうだけに反論できない.
なお「ことし」「ことしこそ」では「来年」は候補に出ず,「ことしこそは」だと出る.「は」を虚偽検出の手がかりとしているのだろうか.ちなみに帰宅して自宅のノートPCで試しても同じだったからデフォルトがそうなんだろう.
ともあれ,Google日本語,これに限らずどうも妙ちきりんな変換が目につくようになってきたので,ATOKに戻すことにした.
本日出勤.中央芝生にはうっすらと霜がおりる寒い朝だった.
午前中はゼミ生の卒論の最低限の誤字脱字チェックを6本.午後は今年から来るPD絡みのMTG×2.夕刻は卒論チェックの続き.授業開始は明日からだが,私は火・水しかないし,そもそも秋学期自体が来週木曜日で終わるので,ほとんど盲腸みたいなものだ.
花園ラグビー,高等部は予想通り東福岡に粉砕されたようだが,一応ゼロ点ではなかったのでよかったのではないだろうか.事情通な研究員Hさんによれば,東福岡から甲山に進学するメンバーも数名はいるそうだ.
今日のTLで2011という数字にまつわる面白い話があったのでメモ.ソースはほぼこちら.
2011年は、2003年以後初めての「素数の年」となる。次の素数の年は2017年になる。
さらに、2011年と2017年は「セクシー素数」(sexy primes)になる。[セクシー素数とは、差が6の素数の組(p, p+6)。例えば、(5, 11)はどちらも素数であり、かつ差が6であるのでセクシー素数。セクシーという用語は、ラテン語では6が「sex」であることに由来する。なお、素数の差が2であるセットを「双子素数」、素数の差が4であるセットを「いとこ素数」と呼ぶ]
2011年とは、次の11個の連続した素数の合計でもある!157 + 163 + 167 + 173 + 179 + 181 + 191 + 193 + 197 + 199 + 211
新しい車になって,カーナビが導入された.私はそもそも大変貧しい地理感覚の持ち主で,例えば前任校から最寄りのJR明石駅までのルートは,何度辿っても大学→駅は行けるのにぐるっと回って戻ろうとすると絶対に道に迷う,というくらいひどいのだが,人に自分の行動を制約されるのが極端に嫌い(分かりやすく言うとワガママ)ゆえにカーナビが嫌い,という厄介な人間であった.そんな私の車に今回カーナビが導入されたのは「それがデフォルト設定だから」に他ならない.いくらデザインが良くても,カーナビが付いてる車なんか一昨日来やがれ!というほどでもないのである.
で,せっかく付いたら試してみたいというのも人情で,お出かけの時はもちろん,大学−自宅の往復の時も一応目的地を設定して音声案内を作動させている.しかし,たいてい指示は聞かない.想像通り,かなりおばかさんだからである.勝手知ったる土地を案内させると,どれだけ素っ頓狂なルートを提案されているかがよく分かるのだ.それに,案内終了が早すぎる.自宅周辺道路は一方通行が多くなかなかたどり着くのに難儀する場所なのだが,地理的に近いところまで来ると案内を終了してしまうようで,確かに近いけどまだ一方通行をぐるっと回らないと家の前までたどり着けないのよ〜というところで勝手に終わってしまうので,おそらく初めて来る際にこのナビではかなり当惑すると思われる.ということは,私たちが初めての場所に行くときにも,大して信用できないということだ.また,大学への案内の際は,ちょっと逆らって脇道に入ると(その方が実際近いしアプローチしやすい),必ずエラーを出してしまう.
もちろんこれはBMWに標準で装着されているナビがバカなだけかもしれないので,すべてのカーナビに一般化したいわけではない.しかし,カーナビ嫌いからすると,バカでいてくれて,ちょっとだけうれしい.ちなみに,GPSとしての機能には今のところ大変満足している.
今年の仕事始めは自宅書斎にて.というと聞こえはいいが,単に寒いので面倒になって研究室に行けなかったという次第.一応最低限必要な仕事はしたが,あとは年末に買ってそのままになっていた2冊の本を読むのに時間のほとんどを費やした.昔昔husにいた頃,隣の研究室の某教員は昼過ぎにのっそりと研究室にやってきては日がないちにち推理小説に読みふけっていた,というのはあくまで噂であり真偽を確認したわけではないが,まあそんな彼のような一日を過ごしてしまったということになる.読了したのは以下の2冊で,ルポルタージュ,特に性風俗と犯罪絡みのそれは私の大変好むところである.前者はともかく後者も女性ライターによるものであるのは単なる偶然.
正直あまり面白くなかった.飛田についてまったく予備知識がない人ならある程度は面白く読めるかもしれない.個人的には,まあそれでもいいかと思っていた読後感が著者後書きの最後の一文でだいぶ悪くなったのが残念.
こちらはとても丁寧に書かれていて面白く読めた.私が生まれた頃はこんなことでも死刑になっていたのか,と驚きもした.著者がテレビ業界の方だというのが正直意外なほどで,やはりまだNHKではちゃんとした人が番組を作っているのだなあ,と思った.そもそもはETV特集として作られた番組に後日取材を付け加えて上梓したとのことだが,多分一番面白かったのは後日取材の部分だろう.
昨日の昼→夜続けてのご馳走で,さすがにお腹がいっぱい.運動して腹ごなしをしようにも寒くてそれどころではなく,体調が悪いわけではないが,ちっともお腹が空かないのだから仕方がない.結局,最低限の週末の買い物に出かけたのみで自宅に引きこもり,朝も昼もほとんど何も食べずに過ごした.夜も普段の半分くらいでじゅうぶんだった.
Before...
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